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2009年7月23日 (木)

名将の采配

先月からNHKの深夜番組(0:10~0:40)で「名将の采配」なるものを放送しています。歴史上、名高い戦いを、スタジオ上でディオラマを使って再現する、というものです。

今までは以下の内容で放送されました。

第1回:カンナエ会戦(6月3日)

第2回:厳島の戦い(6月10日)

第3回:サラミス海戦(6月17日)

第4回:ガウガメラ会戦(7月8日)

第5回:上田城攻防戦(7月15日)

このうち、第1、第4、第5回を見ました。そして昨夜の第6回はナポレオン・”常識破り”が勝利への道でした。アウステルリッツでロシア・オーストリア連合軍を撃破した三帝会戦です。

一応、ナポレオン戦争ファンとして期待はしていましたが、どれだけの質を求められるかは疑問でした。何しろ、まともな歴史家や作家の著書を読んだところで、欧米の研究には太刀打ちできない状況だからです。たとえNHKとはいえ、マスコミにそこまで期待するのは無理というものでしょう。

内容に関しては予測がつきました。有利な地であるプラッツェン高地を敵に開け渡した、というのが“常識破り”だというものです。これは、多くのナポレオン本で“戦争芸術の極意”として紹介されているわけです。学研の歴史群像の1994年2月号で初めてナポレオン戦争が特集されたときも、これがクローズアップされていました。

内容を見て思ったのですが、NHKの製作スタッフは誰もナポレオン戦争の本当の魅力を理解していない、というものです。これでは一般の視聴者にナポレオン戦争の面白さをアピールすることもできなければ、最近増殖しつつある“ナポレオニックファン”と呼ばれる人々を満足されることもできないでしょう。一昔前のステレオタイプのナポレオン像をそのまま語ったものです。つまり、「戦略戦術の天才で希代の名将」とか「フランス革命の風雲児」なる既に使い古されたイメージを踏襲したものだからです。また、「余の辞書に不可能の文字はない」などの“名言”や、缶詰を発明したとかいう、何のソースに由来するのか不明な、いわゆるどうでもいい雑学ネタのオンパレードでした。

一番腹が立ったのは、以下の二点でした。

・ナポレオン1人の名前しか出ていなかったこと。ロシア皇帝とオーストリア皇帝の肖像画だけは出ていましたが、両軍の主だった将軍たちの名前は皆無でした。当たり前の話ですが、ナポレオンが一人だけで戦争をやったわけではありません。この時代の他の将兵を語らずして、ナポレオンを語るなかれと言いたいです。フランス軍に関しては、囮部隊の指揮官であるルグラン将軍と、隠し駒を率いていたダヴ―元帥の名前くらいは出すべきでしょう。

・当時の軍隊が歩兵隊と砲兵隊だけで編成されていたかのような解説をしていたこと。騎兵隊の存在を無視しては、手抜きというものでしょう。何と言っても戦場の華ですから。もっとも、NHKでは過去に長篠合戦を散々取り上げ、「鉄砲の前には騎馬突撃は時代遅れになった」というデタラメを何度も繰り返していますから、下手に騎兵の存在を出したら、「なぜ、200年以上もあとの時代のヨーロッパの戦争で、騎馬が突撃していたんですか」などという質問が殺到するでしょうから、わざと避けたのかもしれません。歩兵にしても、武器が銃剣で、1分間に120歩の速度で進撃していた(どうせ柘植久慶さんの「ナポレオンの戦場」からの受け売りでしょう)くらいの解説しかしていませんでした。これでは、一般の視聴者にはこの時代の戦闘のイメージがつかめないでしょう。アレクサンドロス大王の回では、重装歩兵、騎兵、投槍兵、投石兵など兵種別に詳しく解説していたことを考えると、明らかに手抜きです。

どうも、ナポレオンという人物は、名前だけは日本でも有名ですが、その人となりというか、彼が何をなしたかについてはあまり知られていない、というか、注目されていないようです。早い話、戦略戦術の天才といっても、三国志演技で描かれている諸葛亮のように小細工をやる人間だと解釈されているようです。ゲストの一人が、「女性を口説くのにも使えそうなテクニックですね」などと発言していましたが、だったらオブリ編の「ナポレオン言行録」で取り上げられているジョゼフィーヌへの手紙の数々でも読んでみろと言いたいです。彼は基本的に、正面ブチ当たり型の人間だということがよくわかりますから。

日本のマスコミにナポレオン戦争の本当の面白さを理解してもらうのはまだまだ先のようです。一般人のマニアのほうが遥かに先を進んでいるのではないでしょうか。

2009年6月10日 (水)

Les fraises de Grouchy

昨日、Amazon.frに注文していたGerard le Tulzo著のLes fraises de Grouchy ou les secrets de la defaite de Napoleon a Waterlooが届きました。本体16.00ユーロ+送料14.90ユーロ=合計30.90ユーロで、以前、送金しておいた郵便為替で購入しました。4月17日に注文したのですが、そのときは品切れとかで、6月5日に出荷され、昨日になって到着しました。

この本は今年の新刊で、ペーパーバックの161ページです。著者について、最初は職業軍人かと思ったのですが、Ecole des Francs-Bourgeoisの講師で歴史担当だということでした。内容に関しては、仏語圏で数あるワーテルロー本の1冊なのですが、グルーシー元帥の行動を中心に解説されています。英語圏で1905年に出版されたHyde Kelly著のThe Battle of Wavre and Grouchy's Retreatに相当するものと言えるでしょう。ぼくは「ワーテルローだけの男」ですが、いわゆる“モン・サン・ジャンの決戦”よりも、リニー、カトル・ブラ、ワーヴルなど、他の場所で行なわれた戦闘のほうに興味があります。遭遇戦や追撃戦にも興味があるので、6月15日のシャルルロワやフラーヌ、17日のジュナップなどでのできごとについて書かれた本があったら、是非とも読んでみたいものです。

本書では、最初のページに登場人物の解説があります。フランス軍がナポレオン、スールト元帥、ネイ元帥、ドル―オ将軍、そして主人公たるグルーシー元帥、その麾下のジェラ―ル将軍、ヴァンダム将軍、エグゼルマン将軍、パジョール将軍です。イギリス軍がウェリントン公爵のみ、プロイセン軍がブリュッヒャー元帥とグナイゼナウ将軍です。内容は、6月14日の戦役開始に始まり、リニーを経て、あとはジャンブルーにおけるグルーシーの行動へスポットが当たります。ここで、グルーシー軍とプロイセン軍の動向についてかなり詳しく書かれているようです。モン・サン・ジャンでの決戦にもざっと触れられていますが、それよりもワーヴルでの勝利に一章が割かれています。まだ目を通したわけではありませんが、相当に読みごたえがありそうです。コミケ本でワーヴルの部分を執筆するまでに、しっかりと目を通しておくつもりです。

2009年6月 5日 (金)

Official Bulletins of the Battle of Waterloo

本日、AbeBooksで注文していたOfficial Bulletins of the Battle of Waterloo in the Original Languages, with Tranlations into Englishがイギリスの書店から届きました。ワーテルロー戦役に関して、各国の公式報告書を1849年にJohn Palfrey Burrellが英訳したもので、今年になってから復刻版が出たのですが、Amazon.co.ukでは既に売り切れだったので、AbeBooksで購入した次第です。本体13.91ドル+送料15.20ドル=合計29.11ドルでした。

内容は、以下の通りです。

Dispatch from Field-Marshal the Duke of Wellington(+仏訳)

Dispatch from Lieutenant-General Don Miguel de Alava(+西語オリジナル)

Official Report of the Operations of the Prussian Army, by oeder of Field-Marshal Prince Blucher(+独語オリジナル)

Extract from a Dispatch of Lieutenant-General Charles of Alten(+独語オリジナル)

First Report of H.R.H. the Prince of Orange(+蘭語オリジナル)

Second Report by the same(+蘭語オリジナル)

Austrian Account(英文のみ)

Copy of a Letter from General Count Pozzo di Borgo(英文のみ)

Bulletin by Napoleon(+仏語オリジナル)

Letter of M. Marshal, Prince of Moskowa(+仏語オリジナル)

Report addressed to the Emperor by Marshal Count Grouchy(+仏語オリジナル)

これらの報告書は今まで買い漁った文献で既にお目にかかったものばかりですが、今回の本では原文も紹介されていたのがありがたかったです。もっとも、今のぼくに読めるのはフランス語だけですが。ドイツ語はいずれチャレンジしてみるつもりですが、スペイン語やオランダ語を学習することになるのかどうかは、まだわかりません。

2009年5月11日 (月)

ふいになった招待状

現在の仕事を始めてからずっとそうですが、昼夜ひっくり返った生活をしています。夜間は一晩中、起きていて、雑用をしています。ここのところ、HPに載せる文章を書いています。ただ、疲れているせいか、なかなか纏まりません。毎晩、少しずつ作成しています。明け方になってから就寝し、午前中は寝ています。午後になってから起床して食事などをし、夕方から出勤し、深夜に帰宅するという生活リズムです。

今日も深夜にHP作りをしており、午前5時ごろにベッドに入りました。別に眠くはなかったのですが、仕事があるので、休息しておく必要があります。眠くないからといって、勢いに任せて起きていて、そのまま出勤したら、帰宅するときにはボロボロになっていたことがありますので。

そのとき、また夢を見ました。ここのところ、睡眠剤を飲まなくても普通に眠れるので、よく夢を見ます。以前は睡眠剤なしには眠れなかったのですが、夢を見ませんでした。たまに薬を飲まずに寝てしまうと、とんでもない悪夢を見てうなされたものです。最近ではそのようなことはほとんどなくなりました。

今回の夢は、なぜか来年の2010年6月、ベルギーのブリュッセルのホテルに滞在しているという設定になっていました。光栄なことに、6月18日のワーテルロー195年祭で、地元の観光局からなぜかぼくがゲストとして招待されたということになっていました。そして当日、いよいよホテルから古戦場へ向かうという段になって、なかなか足が向かわずに時間がどんどん過ぎてゆき、やっと辿り着いたときには、イヴェントは終了しており、せっかくいただいた招待状がふいになってしまった、というものでした。こういうパターンは夢の中で頻繁に起こります。

そこで、仕方がないので、ブリュッセル市内の郵便局に向かいました。ホテルのエレヴェイターの前で、なぜか高3のときの同級生2名と出くわしました。そして、郵便局では窓口の職員に英語で質問をしていました。日本へ手紙を出したいので、料金はいくらか質問したのです。ところで窓口にいた年配の女性は、ぼくの質問にはろくに答えずに、自分のことについて長口舌をぶっていました。そして、「わたしはイスラエルの生まれなんですけどねぇ」などと言い出す始末です。結局、手紙は出しませんでした。

その後はブリュッセル市内を歩きながら、学生時代の1996年に泊まったホテルのあたりに行っていました。ところが、これも夢の中ではよくあることですが、当時、ぼくは8月末のテスト前と後に2回も行ったことになっていたのです。現実にはそこまでお金はないし、暇もなかったのです。

ともあれ、この夢を見て、また古戦場へ行きたくなりました。地元の観光局から招待されるなどということはまずないと思いますが。

2009年5月 7日 (木)

Waterloo: Recits de combattants

本日、Le Livre Chez Vousで注文していたWaterloo: Recits de combattantsが届きました。本体26.07ユーロ+送料5.50ユーロ=合計31.57ユーロでした。Amazon.frでも扱われていましたが、マーケットプレイスで出品されているだけだったので、Le Livre Chez Vousで検索したら、入手できました。

この本は、1999年にFabrice Teissedreが編集したもので、ワーテルロー戦役の一次資料集です。ペーパーバックの150ページと薄い本ですが、内容は濃いと言えるでしょう。以下のものを含んでいます。

Recit inedit d'un combattnt(de Brack将軍の1901年出版のCarnet de la Sabretacheより)

Relation de la campagne de 1815, dite de Waterloo(Heymes大佐)

Rapport de la 2e division sur les batailles des Quatre-bras et de Waterloo(H. de Perponcher中将)

Relation Historique de la 2e division aux batailles des Quatre-bras et de Waterloo(van Zuylen van Nyevelt大佐)

Relation des evenements qui se sont produits a la 3e division de l'armee royale neerlandaise durant les journees des 15, 16, 17 et 18 juin 1815, et jusque dans la matinee du 19(C. van Delen中佐)

Rapport sur les positions topographiques et les marches de la 1ere brigade de la 3e division durant les journees des 16, 17 et 18 juin 1815(Detmers大佐)

Relation des evenements qui se sont passes a la brigade de grosse cavalerie durant la bataille du 18 juin 1815 et jusqu'aux 19 et 20 1815(A.-D. Trip少将)

Relation de la part qu'a prise la cavalerie neerlandaise sous mes ordees a la bataille de Waterloo, le 18 juin 1815(A.-D. Trip中将)

Rapport de lieutenant general comte de Bulow de Dennewitz sur la bataille de la Belle-Alliance(Ⅳe corps9)

Journal historique des operations et des mouvements du second corps de l'armee royale des Pays-Bas, depuis le commencement de la campagne jusqu'au 24 juin, et du 1er corps depuis le 25 juin jusqu'au 30 juillet inclusivement de L'an 1815

Operations du premier corps de l'armee royale des Pays-Bas, depuis le 24 juin jusqu'au 31 juillet, jour du depart de l'etat-major pour joindre le 2e corps

フランス軍、ネーデルラント軍、プロイセン軍のものがありますが、いずれもフランス語です。

de Brack将軍(当時は大佐)の文章を読んでみたところ、以下のような記述がありました。

L'aigle fut reprise et rendue au regiment d'infanterie par un marechal des logis du 4e lanciers.

イギリス軍のポンソンビー騎兵旅団に奪取されたフランス軍の歩兵連隊の鷲章旗を第4槍騎兵連隊の軍曹が奪還したというものです。この軍曹の名前と歩兵連隊の番号が書かれていませんでした。

2009年4月 9日 (木)

皇帝ナポレオンのすべて

本日、近所の書店で新人物往来社出版の別冊歴史読本の「皇帝ナポレオンのすべて」を購入しました。本体2000円プラス税でした。

この本を購入した理由は、別にどうしても読みたかったからではなく、最近、大型書店のフランス史のコーナーを見ても、ナポレオン関連本はほとんど置いていないので、今どきどのような本が出版されているのか、動向を見てみようと思ったからです。

この本はムック版で、ビジュアル詳解とあるように、カラーの写真や図版は豊富でした。しかしながら、特に期待してはいませんでしたが、内容はナポレオン本人中心のステレオタイプのもので、いわゆるナポレオニックファンにとって何ら面白味のあるものではありませんでした。というより、ナポレオニックではない普通のナポレオン好きにとってもどれだけ読みごたえがあったか疑問です。ともあれ、今の出版状況では、ナポレオンについてちょっと詳しく知ろうと思っても、手ごろの本がないので、それなりに売れたのかもしれません。

内容の中で特に拙劣なものは、「ナポレオンの私生活24時間」と「「ナポレオン逸話集」です。いずれも元創価短期大学教授の本城靖久氏の筆によるものですが、このような話題を今さら喜んで読む人がどれくらいいるのでしょうか。後者など、歴史読本が昔、出版した本に載っていた内容をそのまま再使用しています。成長のなさの見本みたいなものです。

腹が立ったのは、ナポレオンの部下将星を紹介する記事が皆無だったことです。今の流れからすると、ナポレオン本人よりも部下について知りたいという読者が増えているのではないでしょうか。せめて、ざっとでもいいから、元帥列伝みたいなものを期待したいものです。いや、年季の入ったナポレオニックファンならどの本を読めばよいのか心得ているわけですが、初心者には簡単にでも元帥たちのプロフィールを紹介すべきだと思うのです。

ナポレオンの兄弟たちの記事がありました。ここでは当然、ジェロームも紹介されているのですが、ワーテルローについて以下のように記されていました。

「ナポレオンがエルバ島から脱出すると、ジェロームはパリに駆けつけた。1815年6月、ワーテルローの戦いではジェロームは勇敢に戦い、腕に敵弾を受けている。敗れたナポレオンが戦場を離脱するまで戦場に踏みとどまっていた。そこにいたのは日ごろの軽薄な遊び人とはまったく違う、凛々しい戦士だった」

それはいいのですが、ジェロームが兄貴の意図を理解せず、ウーグーモンでヘマをやった話をすっ飛ばすのはどうでしょうか。彼は師団長だったのだから、師団長として相応しい働きをしたのかどうか書かなければ、軍人としての評価にはなりません。「ウーグーモンを語らずして、ワーテルローのジェロームを語るなかれ」と言いたいです。

唯一、読みごたえがあったのが、「ナポレオンは名将か? 凡将か?」という記事です。海上知明氏の執筆で、「ヨーロッパの風雲児を『孫子』で斬る」というものです。これも軍事学的にどこまで正確なのかよくわかりませんが、ナポレオンは「孫子の兵法」を読んでいない、あるいは読んでいたとしても参考にはしていなかった、と解説されていました。ナポレオンが「孫子」を読んでいた、なる俗説がありますが、彼の戦術や戦略を見る限り、とても参考にしていたとは素人目にも見えないのです。一般向けのステレオタイプ本としては思い切った企画だったようです。

最近は出版不況だと言われていますが、書店でブックハンティングをしていても、出版社は本当に読者にとって面白い本を出す気があるのか、と言いたくなります。図書館などで昔の本を漁ると、びっくりするほど面白い本に巡り合えたりするのですが、今の出版社には昔のような元気はないのでしょうか。

2009年2月28日 (土)

The Battle of Quatre Bras 1815

本日、Amazon.co.jpに注文していたMike Robinson著のThe Battle of Quatre Bras 1815が届きました。数日前に入荷したというメールを受け取ったものの、本当に入ったのか半信半疑でした。しかしながら、送金したら、今日出荷したというメールが来て、つい先ほど配達されました。ハードカヴァーの400ページで、4484円でした。

本書は1815年のワーテルロー戦役で、6月18日の決戦の2日前の16日に行なわれたカトル・ブラの戦いについてのまる1冊の本です。ウェリントン公爵靡下の連合軍が守備していた要所である十字路とその周辺を、ネイ元帥率いるフランス軍が何度も攻撃したものの、連合軍が守り切った結果に終わりました。死傷者は連合軍が4700名で、フランス軍の4300名を僅かに上回り、引き分けのように見えますが、戦略的には連合軍の勝利ということになっています。その後、同日リニーの戦いでプロイセン軍を撃破したナポレオンがネイと合流したため、ウェリントンはワーテルローまで撤退せざるを得なくなるのですが。

ぼくは自称「ワーテルローだけの男」ですが、モン・サン・ジャンで行なわれた決戦のみならず、この戦役における他の戦闘(小競り合いも含む)にも興味があります。ナポレオン最後の勝利となったリニー、グルーシー元帥の戦術的勝利であったワーヴルもそうですし、6月15日に国境を越えたフランス軍とプロイセン軍を主体とする同盟軍の前哨戦、さらに17日のジュナップにおける英仏同士の主に騎兵同士の接触などもそうです。その中でも、カトル・ブラは格別です。何と言っても、ネイVSウェリントンだからです。ネイ元帥はナポレオンの部下の中で一番好きな人物で、ウェリントン公爵はナポレオンの敵の中で一番好きな人物だからです。しかも、騎兵に不足する連合軍に対して次々と騎兵突撃を繰り出すフランス軍の戦術にもそそられるものがあります。

さて、届いたものの、これから出勤しなければなりませんし、明日以降も連日の仕事で忙殺されることになるので、ゆっくり読んでいる時間的余裕はありません。そこで、この本を入手するまでの苦労話を書いておきます。

この本の存在を知ったのは、2006年の秋ごろだったと思います。しかしながら、Amazon.comおよびAmazon.co.ukでは取り扱っていないと表示されていました。2005年に出版されたようでした。この年の6月にワーテルローの古戦場へ行ったのですが、売店の書棚を見てもありませんでした。唯一、Amazon.co.jpのみで予約受け付けをしていたので、申し込みました。しかしながら、ずっと待たされ続けていました。Amazonでは扱っていないのか、古戦場の売店に問い合わせたら入手できるかとも考えました。2007年にはAmazon.caで予約を受け付けていたのですが、こちらも没でした。2008年にAbeBooksで検索したら、ドイツの書店で出品していたので、注文しましたが、送られてきませんでした。結局、今年になってようやく出版されたようで、3年近く待たされた挙句、やっと入手できました。

他にも、Christopher Bassford著のOn Waterlooなる本もなかなか出ないようです。単に著者が執筆がはかどらないのかもしれません。気長に待つつもりです。

2009年2月 4日 (水)

ワーテルローの漫画本

本日、Amazon.frに注文していたPirlot et Eco共著のWaterlooが届きました。本体14.41ユーロ+送料14.90ユーロ=合計29.31ユーロでした。

本書はフランス語の漫画本で、108ページの分量がありますが、ワーテルロー会戦の一般的な流れを綴ったものではなく、1815年6月17日の開戦前夜、フランス軍第105戦列歩兵連隊の3名の兵を主人公とした架空のストーリーです。

ざっと目を通したところ、かなり陰惨な内容でした。カラーがそもそも暗い色ですし、内容そのものも決して華やかなものではなく、両軍の落伍兵同士で争ったり、民家へ押し入って略奪したり、婦女暴行を連想させるシーンまであります。フランスでは映画などでもこのようなストーリーが多いようですが、著者が何を言わんとしているのやら、はっきりしません。人間を刀や銃剣で串刺しにするシーンなどリアルで、低年齢層の読者に悪影響を与えそうな感じです。

フランス語の漫画では、Fred et Liliane Funcken共著のWaterlooがあります。1996年、学生時代にワーテルローの古戦場の売店で購入しました。こちらは美々しい戦闘物語です。オールカラーで、将兵の軍服姿が鮮やかに描かれており、特にネイ元帥がカッコイイです。ポンソンビー将軍の戦死シーンがリアルで、彼を刺殺したフランス槍騎兵は、映画とは異なり、緑色の軍服に真鍮製の兜を着用していました。

漫画ではありませんが、Illiot et Max著のWaterlooという絵本があります。文字は一切書かれておらず、イラストのみの内容です。ワーテルローの戦場の畑にウサギが泥棒に入り、フランス軍の騎兵に踏みつぶされそうになり、カラスに救われるという内容です。このような絵本が出るということは、ワーテルローの名はフランス語圏では子どもにも親しまれているのかもしれません。

2009年2月 1日 (日)

Bibliographie Analytique

本日、Le Livre Chez Vousに注文していたPhilippe de Meulenaere編のBibliographie Analytique des Temoignages Oculaires Imprimes de la Campagne de Waterlooが届きました。本体90.25ユーロ+送料5.50ユーロ=合計95.75ユーロでした。通常、この店に注文すると、届くのに1か月以上かかることもありますが、今回は1月22日に注文してから1週間と少しでした。

本書はハードカヴァーで831ページもの分厚くて重い本です。内容は、1815年のワーテルロー戦役について書かれた一次資料を含む文献の総目録で、2004年に出版されました。それ以前に出版されたワーテルロー文献をフランス語、英語、オランダ語、ドイツ語、そして他の言語別に区分し、それぞれ著者名をアルファベット順に並べて、その著作を紹介したものです。

例えば、ワーテルロー戦役について英語圏における主要な著作を残したWilliam Siborne大尉(ワーテルロー戦役時は少尉)の場合、1844年にHistory of the War in France and Belgium, 1815という題名で初版を出しましたが、その年のうちに再版され、1848年に第3版が出ました。彼は1849年に亡くなりましたが、死後の1894年にThe Waterloo Campaignなる題名で第4版が、さらに1900年に第5版が出ています。現在でも復刻版が複数の出版社から出ていますが、ぼくの手元にあるのは1995年にGreenhill Booksから出た第8版で、History of the Waterloo Campaignという題名です。

本書は言語別に分けられていますが、イギリス人やプロイセン人の著作でも、フランス語に訳されていれば、フランス語のカテゴリーでも紹介されています。ドイツ語やオランダ語の読めないぼくとしては、英語かフランス語に訳されていればありがたいので、助かります。しかしながら、本書で紹介されている994篇もの著作を見ると、気が遠くなります。そもそも、ナポレオンについての書籍は25万冊もあり(Esposito & Elting, 1999)、これを全部読むのはナポレオンでも不可能です。だからぼくはワーテルロー戦役を中心に調べているのですが、ワーテルローだけについて書かれたものだけでも、一生のうちどれだけ読めるか、目がくらむ思いです。

本書を最初に目にしたのは、2005年6月、ワーテルロー古戦場の売店においてです。書籍販売コーナーに平積みにされていました。ぼくはワーテルロー本とみると、お金がなくても強引に絞り出して購入してしまうので、欲しかったのですが、他にも欲しい本があり、全部勝ったら重くて持ち運びできないので、英語の本だけを買い、フランス語の本は2冊購入しただけで、あとは見送りました。帰国後、買い逃した本はAmazonで検索して購入しましたが、本書はAmazon.frでも扱われていなかったので、AbeBooksで買おうと思っていたところ、Le Livre Chez Vousで売られていたので、今回めでたく購入できました。

2009年1月30日 (金)

Ceux qui Bravaient l'Aigle

本日、Le Livre Chez Vousに注文していたLes Planches de la Belle Alliance No.2のCeux qui Bravaient l'AigleおよびLe Champ de Bataille de Waterloo No.1のL'Aigle Blesseが届きました。12月下旬に注文したので、1か月ほどかかりました。前者が23.90ユーロ、後者が23.75ユーロ、送料9.00ユーロ、合計56.65ユーロでした。両者ともムック版のペラペラの本です。

前者はナポレオン戦争当時のオーストリア、イギリス、プロイセン、ロシア、ネーデルラントなど、フランス以外の国の軍装イラスト集です。ぼくはMEN-AT-ARMSシリーズはフランス軍とイギリス軍のものしか持っていないので、オーストリア軍、プロイセン軍、ロシア軍などについて参考になりました。何よりも、このようなイラストを見るのは楽しいです。日本の歴史雑誌などでときおり見かける何の資料に基づくのか不明な誤ったイラストは不愉快ですが。このシリーズのNo.1のWaterloo 1815は2005年にワーテルローの古戦場で購入しましたが、これと同じくBernard CoppensとPatrice Courcelieのペンによるものです。

これを読んで気づいたのですが、刀剣類のフランス語での名称についてです。多くのフランス語の本では、片刃の刀をsabre、両刃の剣をepeeと表記しています。つまり、直刀でも湾刀でも片刃であればsabreなのですが、この本では湾刀のみをsabreとし、直刀はlatteと表記していました。これは初めて知りました。

後者はJean-Philippe Tondeur著で、ワーテルロー古戦場の記念碑等を20世紀初頭に撮影したモノクロ写真や絵ハガキなどが収録されています。当時も古戦場では式典などが行なわれていたのですが、そのときの様子の写真も残っています。ワーテルロー会戦以来194年、さまざまな人々の地道な活動によって古戦場は保護され、現在に至るわけです。

フランス語のムック版にはワーテルローシリーズだけでも他にもたくさんあるので、徐々に買っていくつもりです。

2009年1月 5日 (月)

ムック版歴史群像シリーズ2冊

年末年始はフランス語学校が冬休みだったので、近所の郵便局年賀状仕分けのバイトをしていました。12月26日から始まり、今日で終了しました。帰宅したら、Amazon.co.jpのマーケットプレイスで注文していた歴史群像シリーズナポレオンの皇帝編および戦争編が届いていました。前者は1300円、後者は2000円で、それぞれ送料が340円でした。

これらの本が出たのは1996年のことですが、当時、書店で見かけたものの、購入する気になれず、買いませんでした。学研の歴史群像は隔月間のほうは毎号購読していましたが、ムック版は1冊も持っていませんでした。いろいろなシリーズが出ていたものの、あまり興味のある分野はなかったからです。

歴史群像の隔月間では1994年にアウステルリッツ、1995年にワーテルローを巻頭特集しました。前者はあまり面白くなかったのですが、後者はとてもすばらしかったです。その後もナポレオン戦争関係の記事がポツポツ出るようになったので、いよいよ黄金時代到来かと期待しましたが、どうもあまり読者の評判は良くなかったようです。戦国時代や第二次世界大戦関係のほうが受けが良かったと聞いています。今から思い出すと、あまり真剣に取り組んでいなかったというか、一昔前のステレオタイプのナポレオン観で特集していたようです。

本書もそのようなころに出版されたのですが、書店で見ても買う気になれませんでした。既に洋書に手を出しており、英語圏でのナポレオン戦争の扱われ方に触れていたので、日本の出版社や著者など“本作り”に携わっている人々は、ナポレオン戦争の本当の面白さがわかっていないというのが実感です。

一例として、軍装のイラストが極端に乏しいという点が挙げられます。ナポレオンの近衛擲弾兵と砲兵のイラストがあるだけで、騎兵のイラストは皆無です。当時の兵科では騎兵隊が最もヴァリエーションに富んでいるし、戦場の華ですから、これは致命的でしょう。そもそも、多くのナポレオニックファンはMEN-AT-ARMSシリーズなどに目を通しているでしょうから、今さら歴史群像などありがたがらないと思うのですが。

また、元帥列伝があったのはいいのですが、執筆者が中里融司というのがいただけません。中里氏は当時、歴史群像でいろいろ執筆していましたが、この人は歴史家というよりもファンタジー作家で、あまり参考になるものでもありません。文章も軽薄で、読んでいて不快感を覚えます。彼は当時、「ナポレオン群星伝」なるシリーズものを書いていたのですが、3巻でストップしました。これはファンタジー、つまり作者の脳内妄想を読者に押しつけるわけですから、支持されないのも当たり前です。別にファンタジーを否定するつもりはなく、読んで面白いものであればOKだと思います。柘植久慶さんの「逆撃シリーズ」は面白かったのですが。

さらに、ナポレオンが敗北した戦いを勝利させるシミュレーションを加藤伸郎が執筆していますが、これなど無意味もいいところです。ナポレオンに勝者であってほしかったという判官贔屓はわかりますが、それが歴史というものです。例えば、ワーテルロー戦役では、6月16日にカトル・ブラで、ネイの代わりにダヴ―に指揮を執らせ、18日にはさらにワーヴルで、グルーシーの代わりにやはりダヴ―にプロイセン軍後衛と対峙させているのですが、それをやって果たして逆転できるかという保証もないのですから、所詮は無意味な脳内妄想です。当時、歴史群像ではそのようなシミュレーションが横行していましたが、そのような作者は歴史の真実を追求したいのではなく、脳内妄想を発散させたかっただけなのでしょう。

それにもかかわらず、今回マーケットプレイスで購入してしまいました。こういう形ででも、ナポレオン特集を組んだ学研の姿勢を評価したからです。今後、そのような企画を組む際には、読者が何を求めているのか考慮し、執筆者の人選にも気を配ってほしいものです。できれば海外の書籍などにも目を通し、内容の質を向上させることを考慮すべきでしょう。

2008年10月24日 (金)

Arcqのワーテルロー前哨戦2冊

昨日、Livre Chez Vousに注文していたAlain Arcq著のLes Quatre-Bras:16 juin 1815およびLigny:16 juin 1815が届きました。どちらも19ユーロで、2冊で38ユーロ、送料9ユーロ、合計47ユーロでした。

この本はLes Battailles Oublieesシリーズで、ムック版です。ワーテルロー戦役の前哨戦であるカトル・ブラおよびリニーの戦いについて1冊ずつにまとめたものです。

ページ数が少ない割には、内容は徹底しています。両冊とも、6月15日の戦役開始時から、16日の前哨戦、そして17日の追撃戦まで、詳述しており、地図も多数掲載され、フランス軍と同盟軍の位置や戦闘経過がよくわかります。写真資料や絵画も豊富で、著者のコレクションも多いです。戦闘序列も詳細です。

参考文献の大半はフランス語ですが、オランダ‐ベルギー軍側の資料も多数含まれていました。また、これらから引用したのだと思いますが、当時の命令書や報告書も豊富に紹介されています。

この本もフランス語で書かれており、ざっと目を通した限りでは、文体は平易な感じでした。ただ、精読するには、仏和辞書が欠かせないでしょう。最近、フランス語の文献も含め、ワーテルロー本を次から次へと購入しているので、なかなか精読する機会がありません。体がついていくしかないのでしょう。

これらはムック版で気軽に読めるので、日本の出版社もこのようなものに力を入れてほしいものです。学研では1990年代の歴史群像シリーズで一時期、ナポレオン戦争関係に乗り気になったことがありますが、中途半端なところで放り出してしまいました。また、新紀元社ではMEN-AT-ARMSシリーズを一部翻訳出版したものの、続かなかったようです。

このシリーズでは、ワーヴルの戦いについての本も出たので、いずれ購入するつもりです。

なお、本日はナポレオン自身が著したワーテルロー本の英訳が届きましたが、これについては明日書きます。

2008年10月20日 (月)

ナポレオン最期の日

本日、Amazon.co.jpに注文していたルイ・マルシャン著のナポレオン最期の日が届きました。日本語で読めるナポレオン本で何かないかと探していたところ、目に着いたので購入しました。普段は洋書、それもワーテルロー本ばかり読んでいるので、たまにはこういう本もいいなと思います。ただ、届いたばかりで、それも391ページとヴォリュームがあるので、まだろくに読んでいません。

著者のルイ・マルシャンは、ナポレオンの従僕としてセント・ヘレナ島に随行し、皇帝が没するまでの記録を書き残しました。パラパラとページをめくってみたところ、かなり詳細に綴られていました。ナポレオンが流刑の地になっても、威厳を損なうことがなかったのが読んで取れました。ただ、翻訳の問題ですが、ナポレオンの台詞が古い時代の君主や日本の戦国大名のような感じで、少し違和感がありました。また、総督のハドソン・ロウについては酷評されていました。著者がナポレオンの随員であったことを考えると、納得できます。

訳者あとがきに書かれていたのですが、マルシャンの回想録は2巻あります。

Memoires de Marchand Ⅰ. L'Ile d'Elbe-Les Cent-Jours(1952)

Memoires de Marchand Ⅱ. Sainte-Helene(1955)

本書は2巻の回想録のうち、セント・ヘレナでのことを訳出したものですが、ぼくとしては百日天下のほうも翻訳してほしかったものです。ワーテルロー戦役について何か書かれているかもしれません。

なお、乙武洋匡さんの五体不満足―完全版も併せて購入しましたが、それについてはいずれまた書きます。

2008年10月11日 (土)

Lachouqueのワーテルロー本

本日、AbeBooksに注文していたHenry Lachouque著のWaterlooがイギリスの古書店から届きました。本体30.54ドル+送料8.89ドル+追加料金8.40ドル=合計47.83ドルでした。8月上旬に注文したのですが、やはり船便らしく、2か月以上かかりました。

著者のLachouqueは軍人(階級は少佐)で、原書はフランス語ですが、今回入手したのは英訳版です。著者は他にも何冊かのワーテルロー本を執筆しており、また、ナポレオンの近衛軍についてNapoleon et la Garde Imperiale(The Anatomy of Gloryとして英訳されている)という本を出していますが、いずれも未入手です。

本書は大型本で、かつ写真、絵画、イラストを多数収録しており、ビジュアル的にも楽しめます。内容はというと、ナポレオンがエルバ島から帰還してから、ワーテルローで敗北するまでを一通り解説したもので、多くのワーテルロー本と同様のパターンですが、ビジュアル的資料が豊富な点は低年齢層も含めた一般の読者に受けるのではないかと思います。特に、軍服を着た将兵のイラストが豊富なので、日本でもこのような本が出回るといいのですが。ただ、大型本なので、よほど売れるという確証がなければ、どうしても高価になってしまうと思われるので、日本の出版社は二の足を踏みそうです。

本書を購入した理由は、原書が柘植久慶さんの「ナポレオンの戦場」の参考文献に挙げられていたので、読んでみたかったからです。というのも、柘植本ではワーテルロー会戦は他の会戦に比べて戦闘経過が詳しく書かれており、最初は映画の内容を反映したのではないかと思っていたのですが、この本の影響もありそうです。130~131ページに戦闘経過図が3枚収録されていました。午後2時半のデルロン軍団の突撃に対する連合軍の反撃、ネイ元帥のフランス騎兵の大突撃、午後7時ごろの近衛軍団の突撃です。これらは柘植本にそっくりそのまま転載されていました。ただ、この本でもブラウンシュヴァイク公爵はカトル・ブラで戦死したと書かれているのに、どうして柘植本ではウーグーモンで戦死したことになっているのか、いまだに謎です。

なお、ワーテルロー本でビジュアル的に優れたものとしてはThe Waterloo Companionがありますが、フランス語のものでは、Waterloo:La campagne de 1815Waterloo:Les reliquesがあります(どちらも英訳されています)。写真や絵画もさることながら、武器や軍服などはイラストで解説した方が初心者にはイメージしやすいでしょう。日本語で読める本ではあまりいいものがないのでオススメです。

2008年10月 4日 (土)

Wellington at Waterloo

引き続き、アメリカ旅行の留守中に届いていた本の紹介です。Jac Weller著のWellington at Waterlooがイギリスの古書店から届いていました。本体20.62ドル+送料8.21ドル=合計28.83ドルでした。7月に注文したので、2か月以上かかりました。イギリスから古書を買うと、送料が安い場合、船便で送ってくるようです。今さらの感じの本ですが、ずっと買いそびれてきました。著者はアメリカ人で、本書の他、Wellington in IndiaおよびWellington in the Peninsulaとウェリントン3部作を著しています。この3冊は学生時代に大学生協の書籍部で注文していましたが、Wellington in Indiaのみが届き、他は品切れでした。後に星尾ブックシェルフで注文しようと思いつつ、他にも欲しい本があったので、そのままになっていました。

ウェリントン3部作のインド本は内容が難解で、頭に入らなかったのですが、ワーテルロー本は平易な感じでした。要するにぼくはワーテルローの歴史的背景が頭に入っていて、インドはそうでないという、ただそれだけのことなのですが。

ざっと斜め読みしてみたところ、多くのワーテルロー本と同じく、ワーテルロー戦役の流れを述べていますが、ウェリントンの視点で描かれていました。この本を読んで、次のことに気づきました。普通、ワーテルロー会戦について連想するとき、自分自身がフランス側の陣営に立っているように感じます。これはどうしてもナポレオンを中心に考えてしまうということもあるのですが、地図のせいもあります。多くの本に載っているワーテルローの戦闘配置図では、フランス軍が下に、連合軍が上に描かれています。これはフランス軍が南側に、連合軍が北側に布陣したことを考えると当然ですが、このような地図を見ると、どうしても自分がフランス軍側にいて、ウェリントンの連合軍と対峙しているような気分になってしまうのです。ところが本書に目を通した限りでは、自分がウェリントン側におり、南に陣を布いているフランス軍と向き合っているような錯覚を受けます。本書は題名通り、ウェリントン側から見たワーテルロー本だと言えます。

巻末に、Cavalry Attacks on Infantry Squaresについての解説があります。ワーテルロー会戦のクライマックスとも言える、ネイ元帥の騎兵突撃をウェリントン軍の歩兵方陣が迎撃したシーンですが、映画を見た限りでは、方陣がものすごく巨大な印象を受けますが、1個の方陣は歩兵500名ほどで編成し、側面が60フィートです。イギリス歩兵の陣形は、横隊だと通常は2列ですが、方陣だと4列になります。前2列が片膝をついた姿勢で銃剣を斜め45度で構え、敵の胸甲騎兵が突っ込んでくると、その馬に4本の銃剣が突きつけられることになります。ただ、馬という動物は、近くで見るとかなり大きく(特に胸甲騎兵用などは)、前2列の歩兵は姿勢を低くしているので、その勇気は並はずれたものだと思います。

また、ウェリントンがスペインで対峙したフランス騎兵の多くは竜騎兵だという記述もありました。当時のフランス騎兵の銃はイギリス騎兵のものよりも銃身が長く、射程距離も大きかったようです。Philip J. Haythornthwaite著のThe Napoleonic Source Bookには半島戦争体験者の証言が載っていますが、フランス竜騎兵はしばしば下馬して、イギリス騎兵の射程外から銃撃をかけてきたとありました。ワーテルロー映画の影響からか、騎兵戦術は白兵突撃の印象が強く、フランス槍騎兵の威力が目立ちますが、銃撃戦でもフランス騎兵が優位だったようです。ナポレオン軍の騎兵は多彩で、ファッション性ではないかとも取れますが、それなりに柔軟な戦術も可能だったと思えます。

なお、Wellerの半島戦争本は購入するかどうか未定です。インド本が読みこなせたら、買うかもしれません。

2008年10月 3日 (金)

Quatre Bras, Ligny and Waterloo

一昨日、アメリカから帰国したら、AbeBooksで注文していた洋古書が4冊、届いていました。といっても、今は疲れていて、読んでみる気にもなれないのですが、ざっと紹介してみたいと思います。

まず、Dorsey Gardner著のQuatre Bras, Ligny and Waterlooから。アメリカの古書店から届き、本体175ドル+送料17ドル=合計192ドルでした。AbeBooksを利用し始めてから金銭感覚が麻痺しつつありますが、アメリカ旅行を前に少し高すぎる買い物でした。

この本は1882年にアメリカで出版され、ぼくが入手したものは第2版でした。題名からわかるように、ワーテルロー戦役全体を述べた本で、英語圏では数あるワーテルロー本の1冊ですが、著者がアメリカ人という点で、イギリス人の著者とは別な視点だろうと思います。

内容について、まだ読み込んだわけではありませんが、ざっとこんな感じです。

Napoleon's Task

Anglo-Allied Position

The Armies

Napoleon's Plan

Eve of the Campaign

Napoleons Health

First Day

First Night

Second Day

Second Night

Third Day

Third Night

Forth Day

Battle of Wavre

Grouchy's Movements

Waterloo

The Battle of Waterloo

The Sequel

The Consequences

巻末にWaterloo Poetryと題して詩が多数収録されています。

ここのところ、ワーテルロー本を購入していますが、積ん読の山が大きくなっているのが現状です。理想的にはR/Dさんの祖国は危機あり関連blogのように完読した上で考察を加えてアップしたいところですが、なかなか読む時間がありません。明日からフランス語学校の秋学期クラスと新しいバイトが始まるので、忙しくなりそうです。

2008年9月19日 (金)

ワーテルローDVD仏語版

本日、Le Livre Chez Vousに注文していた映画「ワーテルロー」のDVDが届きました。これはセルゲイ・ボンダルチュク監督の有名な戦争スペクタクルですが、フランス語に吹き替えとなっているもので、去年になってNapoleon 1erという雑誌のワーテルロー特集号とセットで発売されたということでした。

ワーテルローの仏語版には苦い思い出があります。学生時代にワーテルローの古戦場に行ったとき、売店で仏語版のVHSを購入したのですが、自宅のヴィデオデッキでは再生できなかったのです。3年前に再訪したときにはドイツ語版DVDおよびVHSが売られていましたが、仏語版はありませんでした。

届いたDVDは早速再生してみました。本当にフランス語でした。やはりナポレオンやネイ元帥やその他のフランス軍将兵にはフランス語でしゃべってほしいものです。ただ、ウェリントンなどのイギリス人や、ブリュッヒャーなどのドイツ人もフランス語でしゃべっていましたが。それぞれの国の人物が母国語で台詞を言う版があったらいいのにと思いました(ドイツ語はわかりませんが)。

固有名詞などについて、フランス語の発音がわかったので、書いておきます。

Napoleon:当たり前ですが、はっきり「ナポレオン」です。英語版では「ナポーリオン」と聞こえます。

Ney:これもはっきり「ネイ」です。日本では「ネー」と表記されることもありますが、イが発音されていました。ただ、ルイ18世の台詞は「マレシャル・ネ」と聞こえました。

Wellington:柘植久慶の逆撃シリーズでは「ウエラントン」となっていますが、はっきり「ウェリントン」と発音されていました。

Blucher:逆撃シリーズと同じく、「ブリューシェル」となっていました。

Hougoumont:英語版では「ウーゴーモン」ですが、こちらは「ウーグーモン」でした。

他にも以下の点で相違がありました。カンブロンヌはMerde!のあと、La Garde meurt et ne se rend pas!と付け加えられていました。また、舞踏会でロード・ヘイという若者が婚約者に胸甲騎兵の兜を持ち帰ると言っていますが、仏語版ではDragon、つまり竜騎兵に置き換えられていました。

ぼく自身がフランス語を学習しているからというのもありますが、やはりフランス語はすばらしい言語です。軍隊での台詞など、聞いていて気分がいいです。ネイ元帥のChargez!という台詞など爽快です。予備校時代、とある英語の講師が、「大学に入ったら第2外国語はドイツ語にしろ。特に男は絶対ドイツ語を取れ。男がフランス語をしゃべるのは気持ち悪い」とぬかしたのですが、その先生にはこの映画を見てほしいです。「軍人のしゃべるフランス語」を聞かせてやりたいものです。

2008年9月16日 (火)

The Campaign of Waterloo

昨日、帰宅したら、AbeBooksに注文していたJohn Codman Ropes著のThe Campaign of Waterloo: A Military Historyがアメリカの古書店から届いていました。本体105ドル+送料14ドル=合計119ドルでした。

本書はアメリカ人の著者によるもので、1892年に出版され、その後も版を重ねました。国会図書館には1916年版があります。1990年代に復刻版が出たようですが、希少本だったようで、AbeBooksで検索すると古書ばかり引っ掛かります。

届いたばかりなので、まだほとんど目を通していませんが、この本はR/Dさんのサイト大陸軍 その虚像と実像でしばしば引用されています。特に興味深いのは、1815年6月16日午後 フラーヌです。このページでは、ワーテルロー会戦の2日前の前哨戦(リニーとカトル・ブラ)で、デルロン伯爵率いる第1軍団の20,000名が命令伝達の取り違えから遊軍と化し、どちらの戦闘にも参加しなかったわけですが、その命令書を運んだ副官の名前が史料によって異なっており、原因は戦闘参加者の書き残した一次資料の矛盾に起因する、という点について触れられています。著者のRopesはこの点について述べています。

In conclusion, we may say that the evidence as to this matter is not entirely satisfactory. D'Erlon says the order he saw was addressed to Marshal Ney. Reille says the same. D'Erlon says the order was brought by General Ladedoyere; Heymes, by Colonel Laurent. Heymes says that Colonel Laurent, after turning the 1st Corps off the turnpike, informed Ney what he had done; Baudus says that Ney told him that he never received any advice of the sort at all, and that he only learned that the corps had gone off by sending to Frasnes for it, and there being no troops there. It is idle to seek to reconcile these minor contradictions. They are not important.

副官の名前で多いのは、百日天下でナポレオンの副官を務めたラ・べドワイエール将軍です。彼はナポレオンがエルバ島を脱出してフランスに上陸したとき、グルノーブルで第7戦列歩兵連隊長の大佐でしたが、ナポレオン側に合流したために将軍に昇進しました。そして、ナポレオンの2度目の退位後は息子のローマ王をナポレオン2世として擁立することを主張したため、王党派から敵視されて銃殺されました。

彼は映画ワーテルローにも登場するのですが、ナポレオンの傍らで話相手をしているだけで、百日天下での主要な活躍についてのシーンはありません。その点を取り上げられなければ、29歳の青年将軍としてしか注目されないわけです。柘植久慶の逆撃シリーズでも、グルノーブルでの活躍には触れられていますが、戦場では映画と同じく、皇帝の話相手で終わっています。この小説は架空戦記ですが、6月16日の命令伝達で彼を登場させてくれたら盛り上がるのにと残念に思います。

2008年8月27日 (水)

「決戦」の世界史

本日、西武池袋のリブロ書店にて、ジェフリー・リーガン著の「決戦の世界史」を購入しました。本体4800円プラス消費税の少し高価な本でしたが、和書では久々にヴォリュームのあるものでした。

本書は紀元前480年のサラミス海戦から1991年の湾岸戦争まで、「歴史を動かした50の戦い」を扱ったものです。ナポレオン戦争としてはトラファルガル(1805年)、アウステルリッツ(1805年)、ワーテルロー(1815年)が取り上げられています。基本的には広く浅くの本で、世界戦史全体の流れを掴むのにはうってつけかもしれません。ただ、内容がジョン・マクドナルド著の「戦場の歴史」とかなり重複するので、もっと別の戦いを取り上げて欲しかったです。

この本は、もしぼくの浪人時代に出版されていたら、かなり重宝したと思います。当時、読める本は限られていました。柘植久慶の「ナポレオンの戦場」、上記の「戦場の歴史」、そしてアーサー・フェリルの「戦争の起源」の3冊が貴重な情報源だったからです。洋書なんて考えられませんでした。どこで入手するか以前に、読めませんでしたから。

そもそも、日本語で読めるナポレオン本の大半がナポレオンの伝記であって、戦闘の実際の姿を紹介した本は圧倒的に少ないのですから、戦史愛好家にとってはたまたま出版されるこのような本は貴重です。ただ、どうせなら「広く、浅く」の本ばかりでなく、もう少し体系的に取り上げて欲しいものです。少なくともナポレオン戦争に1冊割いてほしかったです。

ナポレオン戦争以外ではゲティスバーグ(1863)およびセダン(1870)がぼくの興味ある分野でした。これも「戦場の歴史」とかぶっていますが。ただ、参考文献の類が一切表記されていないので、あくまでも読み物として扱うべきでしょう。

なお、今年の6月10日に第1冊が、そして早くも8月1日に第2冊が出ているので、それなりに売れる本の部類なのでしょう。

2008年8月24日 (日)

図解 近接武器

本日、西武池袋の書店にて、大波篤司署の図解 近接武器を購入しました。新紀元社出版で、似たような本は既に何冊か出版されています。武器の実際の姿を語った本ですが、ファンタジーマニアにも重宝されているようです。定価は1300円と手ごろで、2006年9月9日に初版発行、2008年3月17日に4版が出たそうです。

本書を購入したのには特に深い理由はありません。類書は今まで散々読んできたし、ナポレオン戦争で使用された武器について知りたければ、洋書ではいくらでも良いものがあります。なぜ、今さらこのような本を購入したかというと、著者が刀剣類についてどのような見解を持っているのか知りたかったからです。

ナポレオン戦争における騎兵は軍刀を装備しており、槍騎兵以外では刀が突撃用の主力武器でした。当時の騎兵は重騎兵と軽騎兵に大別されますが、通常は重騎兵が直刀を、軽騎兵が湾刀を使用しました。重騎兵が刺突に、軽騎兵が斬撃に用いたわけですが、国によって差があったらしく、フランス軍では重騎兵も軽騎兵も刺突を好み、イギリス軍では双方とも斬撃を重視したようです。この辺りはナポレオニックファンにとっては常識でしょう。

問題は刀剣類の名称です。フランス語では騎兵が使用した刀はいずれもsabreと呼ばれています。フランス語では片刃の刀剣をsabre、両刃をepeeと区別しています。これらは日本語の“刀”と“剣”にそのまま相当すると考えて問題ないでしょう。一方、英語では刀剣類をswordと総称しますが、そのうち湾曲したものをsabreと呼びます。騎兵刀は、重騎兵用がsword、軽騎兵用がsabreとなります。ただし、重騎兵用の直刀をsabreと呼ぶ場合もあります。しかしながら、両刃の剣をsabreと表記している例にはお目にかかったことはありません。

本書の120ページに「騎兵刀~サーベル~」と題して“サーベル”なるものが紹介されています。最初の3行で早くも誤りがあります。

サーベルと呼ばれる武器には様々な形状の刀身がある。大きく分類すれば「両刃の直刀タイプ」と「反り返った片刃の湾刀タイプ」となり、騎乗時に片手で使えるよう軽く、長く作られている。

“両刃のサーベル”なんてまったく初耳です。ナポレオン戦争関係の洋書を16年間漁りましたが、そんなものに一度も出会ったことはありません。次いで、58ページに「広刃剣~ブロードソード~」が紹介されていますが、ここでは“ブロードソード”が斬る武器で、“サーベル”が突く武器として紹介されています。「サーベルとの運用法の違い」として騎兵のイラスト入りで解説されていますが、「ブロードソードによる騎乗戦闘」は「すれ違いざまに殴りつける」「攻撃範囲は剣を持った側の側面のみ」です。「サーベルによる突撃」は「騎士のランスのように剣を突き出して突撃する」「攻撃範囲は前方のみ」となっています。こんな融通の利かない使用法で、果たして使い物になるのか、首をひねってしまいます。

実は元ネタを知っています。同じ出版社から出た武勲の刃です。この本の45ページに「ブロード・ソードを構える騎兵」、100ページに「サーベルを構え突撃する騎兵」のイラストがあります。この本を著したのは市川定春ですが、大波篤司はそれをかなり参考に、というより、何も考えずにそっくりそのまま引用していることが窺えます。

これにもさらに元ネタがあります。Philip Haythornthwaite著のWeapons & Equipment of the Napoleonic Warsの43ページのイラストです。前著の「ブロード・ソードを構える騎兵」はイギリス軍の軽竜騎兵ですが、この本では持っているのがcurved cavalry sabreとなっています。前著の「サーベルを構え突撃する騎兵」はフランス軍の竜騎兵で、この本ではstraight cavalry swordです。市川定春が意図的にすり替えたようです。

実は日本人の著者による武器の本では、市川定春の見解がかなり流出しています。大波篤司もその一人です。彼はそもそも、刀と剣の違いもあやふやなようです。”サーベル”を直刀タイプ、半曲刀タイプ、曲刀タイプに区分していることもその影響を受けています。これらの本を読んでから洋書を読むと相当に混乱するでしょう。サーベルは西洋刀剣類でもっともポピュラーでありながら、名称だけが先走りし、実際にはどういうものか案外知られていないようです。サーベルについて知りたければ、日本で使用されたものは旧日本軍関係の本を読み、ナポレオン戦争で使用されたものについてはマール社の武器を読んでから洋書を当たるほうが無難でしょう。光人社から出ているシャープ・シリーズは参考になります。

余談ですが、以前所属していたフランス語学校の会話のクラスで、ある男性が京劇について写真を持ち出して解説していました。その写真では青竜刀らしきものが写っていましたが、彼はそれを「エペ」と言っていました。そしたら、担当の講師が「エペではなく、サーブル」と訂正していました。この先生(フランス人)は軍事関係に明るいわけでもなく、フェンシングの愛好家でもありません。しかしながらフランス人はsabreとepeeははっきり区別しているようです。

2008年8月23日 (土)

Story of the Battle of Waterloo

8月18日にAmazon.co.ukから届いたGeorge Robert Gleig著のStory of the Battle of Waterlooについて、書くことにします。1847年に出版された本を去年復刻したものです。7.91ポンドでした。

まだ全ページ目を通したわけではありませんが、1814年にナポレオンが退位し、翌1815年に復位してワーテルロー戦役が起こり、同盟軍がパリに侵攻するところまで書かれています。ストーリー全体としては、戦役直後から21世紀に至るまで、英語圏では数限りなく出版されたワーテルロー本の標準的な構造です。と言ってしまったらそこまでなので、ワーテルロー会戦で一番興味がある部分、つまりポンソンビー将軍のイギリス竜騎兵の突撃およびそれに対するジャッキノ将軍のフランス槍騎兵の反撃から読んでみました。そしたら、戦死したウィリアム・ポンソンビーの従弟で、友軍を来援してやはり槍で突かれて負傷した第12軽竜騎兵連隊長フレデリック・ポンソンビー中佐の証言が載っていました。一部は他の書籍で読んだことがありますが、この本では全容が紹介されていました。その前半部分です。

We had no sooner passed through them than we were ourselves attacked, before we could form, by about 300 Polish Lancers, who had hastened to their relief: the French artillery pouring in among us a heavy fire of grape, though for one of our men they killed three of their own. In the melee I was almost instantly disabled in both arms, losing first my sword and then my reins, and, followed by a few of my men, who were presently cut down――no quarter being asked or given――I was carried along by my horse, till, receiving a blow from a sabre, I fell senseless on my face to the grownd.

Recovering, I raised myself a little to look round, being at that time, I believe, in a condition to get up and run away when a lancer passing by, cried out――‘Tu n'es pas mort, coquin!’ and struck his lance through my back. My head dropped, the blood gushed into my mouth, a difficulty of breathing came on, and I thought all was over.

このあとも続きますが、ここで注目すべきは、ポーランド槍騎兵が300騎いたという点です。ジャッキノの第1騎兵師団に所属していたのは第3および第4槍騎兵連隊です。彼らはフランス人で、1811年に竜騎兵から槍騎兵に改編された部隊であり、緑色の軍服を着て、真鍮製の兜をかぶっていたはずなのです。映画「ワーテルロー」では、青い軍服にチャプカをかぶって登場していますが、これはポーランド槍騎兵の軍装です。いろいろなワーテルロー本の戦闘序列を見る限りでは、ポーランド槍騎兵は近衛軽騎兵師団の1個大隊のみとなっています。映画の時代考証のミスならまだ納得いきます。しかしながら、この戦いに参加して実際に槍で突かれて負傷した人物がPolish Lancersと言っているのですから、現実味を帯びてきます。ただ、彼を槍で突いた槍騎兵が‘Tu n'es pas mort, coquin!’とフランス語で言っているので、フランス人ではないかと思うのですが、フランス軍に参加しているポーランド人が、イギリス軍の将校にも通じるべく、当時の国際語だったフランス語を意図的に使用した可能性も考えられます。この点に突っ込んだ著者がいたら興味深いと思うのですが。

2008年8月16日 (土)

Armies at Waterloo

バイトも残すところ、あと2日です。最初のころは今までに体験したことのないハードな仕事だったので、戸惑うこともしばしばでしたが、慣れるに従って面白さが感じられるようになりました。今日の午前中、母が会場へ行って、展示されている熱帯魚などを見てきました。ぼくの出勤時間は夕方からなので、会場で出くわすことはなかったのですが。

先ほど、帰宅すると、AbeBooksで注文していたScott Bowden著のArmies at Waterlooがアメリカの古書店から届いていました。この本は1983年に出版され、その後のワーテルロー本の参考文献に挙げられていることも多いので、気になっていたのですが、先延ばしになっていました。特に希少本というわけではないようですが、古書市場での価格が少し高いのです。しかし、現在のバイトをしていて、ハイになっていたせいか、思い切って購入してしまいました。

届いたばかりでざっと見てみましたが、フランス軍、プロイセン軍、イギリス連合軍についてひたすら戦闘序列を解説した本でした。多くのワーテルロー本では大なり小なり戦闘序列を掲載していますが、ここまで徹底した本は初めてです。フランス軍だと連隊レヴェルまでの指揮官名および兵員数とその損害数、騎兵隊では馬匹の頭数まで表記されています。さらに師団の参謀長の名も書かれています。また、ワーテルローでは不在だったグルーシー元帥のフランス右翼軍およびティールマン将軍のプロイセン軍第3軍団までしっかり網羅されています。多くのワーテルロー本ではこれらを省略することも多いので、これは収穫でした。

表紙にはChartier描くの騎兵戦の絵画がデザインされています。手前にフランス胸甲騎兵、奥にイギリス軍第2竜騎兵連隊(通称スコッツ・グレイズ)が描かれています。イギリス竜騎兵に右側にフランス槍騎兵が突入し、イギリス騎兵は混乱しており、そこへ手前のフランス胸甲騎兵が突入しようとしています。この絵はいろいろな本に紹介されていますが、この本では簡単な解説がありました。胸甲騎兵の先頭で軍刀をふりかざして指揮している二角帽をかぶった人物はファリーヌ将軍で、白か灰色の馬に乗ったイギリス竜騎兵の中央にいる褐色の乗馬の人物がポンソンビー将軍だということでした。

余談ですが、この本には絵葉書が同封され、店主からのメッセージが書かれていました。アナログ人間としては手書きの手紙は嬉しいものです。洋書、それも古書となるとネットで入手するしかないのですが、こういうメッセージが同封されているとなぜかホッとします。

バイトが終了したらゆっくり読書、といきたいところですが、9月のアメリカ旅行の準備もあるし、次のバイトも探さなければならないしで、また忙しくなりそうです。

2008年8月12日 (火)

Thiersのワーテルロー本

本日、フランスの政治家で歴史家でもあるM. A. Thiersが1862年に著したWaterlooがフランスの古書店から届きました。本体22.44ドル+送料15.56ドル=合計38.00ドルと、新書版サイズではあるものの、146年前の本としては驚くほど安価でした。20世紀後半に出版された本でも、目の玉が飛び出るほど高額な本もありますので。

この本は2006年の夏に国会図書館で読んだことがあります。ここのコンピューターでワーテルロー本を検索したところ、本書があったので読んでみました。「明治10年」(だったと思う)なるスタンプが押されていて、歴史を感じました。表紙が破損されていたため、ビニールで補強されていました。最初から最後まで読み通すほどの時間的余裕もなかったし、仏語力も乏しかったので、午後1時すぎのデルロン軍団の突撃の部分だけ読んでみましたが、辞書も参考書も持参していなかったので、人名や地名から何とか類推する程度でした。同図書館は自宅から地下鉄1本で行けますが、毎日通うだけの根性もありませんでした。浪人時代は予備校の授業の合間を縫って、よく通っていたものでしたが。当時はAbeBooksを利用していなかったので、どこかの出版社で復刻版を出してくれないかなと思って、それっきりになっていました。

今回、購入に踏み切ったのは、7月8日の記事でポンソンビー将軍を刺殺したフランス軍第4槍騎兵連隊のUrban軍曹について書いたところ、R/Dさんからの情報で、この本によるとUrbanは敵に奪取された第45戦列歩兵連隊の鷲章旗を取り戻したということで、読んでみたかったからです。現在、連日のバイトでゆっくり読んでみる余裕がないのですが、その部分だけ見てみました。ありました。

Le 4e de lanciers conduit par le colonel Bro, ne les traite pas mieux avec ses lances. Un marechal des logis des lanciers, nomme Urban, se precipitant dans la melee, fait prisonnier le chef des dragons, le brave Ponsonby. Les Ecossais s'efforcant de delivrer leur general, Urban le renverse mort a ses pieds, puis menace par plusieurs dragons, il va droit a l'un d'eux qui tenait le drapeau du 45e, le demonte d'un coup de lance, le tue d'un second coup, lui enleve le drapeau, se debarrasse en le tuant encore d'un autre Ecossais qui le serrait de pres, et revient tout couvert de sang porter a son colonel le trophee qu'il avait si glorieusement reconquis.

終わりのほうはやたらとややこしくなりました。時間があったら仏和を片手に訳してみようと思います。それにしても、目から鱗というよりも、余計に事実がこんがらがった感がありますが。

話がずれますが、ドイツ語を学習するか否かで悩んでいます。去年、独学を試みたのですが、半年で挫折しました。本格的にやるにはどこかの学校に通わなければならないのかもしれませんが、現在、フランス語学校に通っているため、両立させるほどの経済的余裕もないし、頭も良くありません。フランス語にしても、大学の第2外国語で選択して以来、10年以上かかってようやく本を手にするようにわけですが、のんべんだらりとやっていたせいです。この調子ではドイツ語を読みこなせるのはいつになるのか見当もつきません。もし読めるようになれば、ナポレオン戦争だけでなく、猛禽類や熱帯魚のほうでも役立つと思うのですが。

2008年8月11日 (月)

Waterloo Recit critique

本日、AbeBooksで注文していたBernard Coppens著のWaterloo Recit critiqueがフランスの古書店から届きました。ペーパーバックで64ページの薄い本でした。ざっと見たところ、ワーテルロー戦役での出来事は一通り扱っているようでした。

この本を購入したのは、日ごろお世話になっているR/Dさんやシェヘラザードさんのサイトやブログでよく引き合いに出されているためです。著者はワーテルローに関して、従来説とは異なる新説を唱えているというので、読んでみたかったのですが、Amazon.frでは扱っていないようなので、AbeBooksで検索したら、1件だけヒットしたので購入しました。現在、バイト中でゆっくり読む時間的余裕がないので、落ち着いたら読んでみようかと思います(しかし、ここのところ次から次へと本を購入しているので、追いつかないのが現状ですが)。

著者のサイトにも興味深い話が書いてあるということでした。これもまだろくに目を通していないのです。フランス語なので、PC画面だと読む気がしないからなのですが、上記のお二方が高く評価されているので、近いうちにプリントアウトした上で、仏和を片手に格闘してみるつもりです。

2008年8月 9日 (土)

進め竜騎兵

本日、Amazon.co.jpに注文していた映画「進め竜騎兵」(マイケル・カーティーズ監督、エロール・フリン主演)のDVDが届きました。これは学生時代に既にVHSで入手していたのですが、去年になってDVD発売されたので、購入してみました。

原題はThe Charge of the Light Brigadeです。1936年に製作されたワーナー・ブラザーズ映画で、日本では1937年に公開されました。当然のことながら、モノクロ作品です。題名を御覧になればおわかりのことと思いますが、クリミア戦争のバラクラヴァ会戦(1954年)におけるイギリス軍の軽騎兵旅団の突撃がテーマとなっているのですが、映画の内容は完璧なフィクションで、登場人物は実在せず、“第27竜騎兵師団”(27th Lancersのことらしい)なる架空の部隊もあります。邦題の“竜騎兵”とはLancerもしくはLight Cavalryの訳ということになっています。騎兵ファンが見たら、相当違和感があります。

あらすじについてはネタバレとなるので省略しますが、だいたいこんな内容です。主人公のジェフリー・ヴィッカーズ少佐(27th Lancersに所属)は上官である大佐の娘と婚約していますが、弟の大尉に婚約者を取られてしまいます。三角関係となった3人はそれぞれに悩み苦しむという、よくありがちな安っぽい恋愛ドラマです。そして紆余曲折の後、バラクラヴァで突撃することになるのですが、婚約者のために弟を残し、自身は戦死してしまうという、センティメンタルな結末に終わります。

それで、ぼくが何のために購入したかというと、最後の突撃シーンのみのためといっても過言ではありません。そのくらい迫力満点で、騎兵突撃愛好家にとって堪えられません。それも、常歩(ウォーク)、速歩(トロット)、襲歩(ギャロップ)を経て突撃(チャージ)に移るわけですから、そのあたりにこだわる人にとっては嬉しい内容です。槍騎兵は最初は槍を立てているのですが、突撃命令が下ると一斉に槍を水平に構えます。これが迫力モノです。彼らは当然、ロシア軍から猛砲撃を喰らいますが、怯まずに突撃します。ヴィッカーズ少佐も乗馬を殺られて転倒し、軍刀を落としてしまいますが、付近を走っていた空馬に跳び乗り、戦死した部下の兵の槍を手にして敵陣を目指します。砲列に突入したイギリス騎兵は、刀や銃剣で抵抗するロシア砲兵を次々と槍で突き伏せていく…というわけです。

他にも、主人公の連隊はインドで駐屯しているわけですが、軍が新しく購入した馬の群れを護送している最中に地元の部族と銃撃戦になるシーンもあります。騎兵たちは下馬して銃を撃っているのですが、劣勢のため、ヴィッカーズは2人の兵に命じて土煙を立てさせ、援軍が来たように思わせて敵を退却させたりもしています。三国志で張飛が使ったやり方と同じですね。突撃だけでなく、騎兵の下馬戦闘も堪能できる映画です。

2008年8月 8日 (金)

近衛竜騎兵中尉の手紙

本日、Amazon.co.ukのマーケットプレイスで注文していたWaterloo Letters:The 1815 Letters of Lieutenant John Hibbert 1st King's Dragoon Guardsがイギリスの古書店から届きました。Waterloo Lettersといっても、Siborne大尉が集めた手紙を息子が編集して出版した本ではありません。ワーテルロー戦役に参加したイギリス軍の第1近衛竜騎兵連隊のJohn Hibbert中尉がこの戦いの前後に書いた手紙を2007年にGareth Gloverが編集したもので、32ページの小冊子です。

John Hibbertは1814年にこの連隊に少尉として入隊し、翌1815年には中尉に昇進してワーテルローに参戦しました。戦後、1820年に大尉になりましたが、翌1821年には予備役となり、1848年に少佐として退役し、1886年に他界しました。

内容は、1815年に書かれた手紙や日記などです。手紙は父母に宛てたものが多く、騎兵将校とはいえ、おそらくまだ10代の少年だった著者の心境が読み取れます。肝心の戦闘についての記述があまりないのが残念ですが、7月13日の日記では彼の連隊で、連隊長のFuller中佐、その副官のGraham少佐とBringhurst少佐、Battersby大尉、Brooke中尉が戦死し、Bernard少尉が行方不明になっておそらく戦死、Sweeny大尉とTurner大尉が重傷を負った他、Naylor大尉も負傷したということでした。他にも、スコッツ・グレイズこと第2竜騎兵連隊は兵員の半数を失い、将校8名が戦死して7名が負傷したなどと書かれていました。また、ベルギー兵は臆病だったと酷評していました。戦闘の終盤になって出現したプロイセン軍は、退却するフランス軍に発砲し、フランス兵と同じくらい、フランス軍の捕虜になっていたイギリス兵も殺してしまったという記述もありました。著者の連隊はフランス胸甲騎兵を撃退したものの、潰走する敵を軽率にも追撃したところ、フランス槍騎兵から反撃を喰らい、連隊長はまず乗馬を槍で刺殺され、自身は徒歩状態で戦死したとのことでした。わずかな記述ですが、戦闘体験者の証言は生々しいものです。

2008年8月 1日 (金)

Napoleon and Waterloo(改訂版)

本日、AbeBooksに注文していたA. F. Becke著のNapoleon and Waterlooがイギリスの古書店から届きました。本体26.51ドル+送料8.12ドル=合計34.63ドルでした。同じ著者の同名の書籍(1914年に出版された初版本)は既に購入済みですが、今回入手したのは1936年の改訂版です。初版本は2巻セットですが、改訂版は1冊320ページにまとめられています。著者はイギリス軍の砲兵将校で、初版本を著したときは大尉、後に少佐として退役したそうです。

実はこの本の復刻版(1995年に出た)は持っています。3年前にワーテルローの古戦場の売店で購入しました。こちらは毎年、夏冬の2回に行われているコミケで出品するワーテルロー小説の参考資料として重宝しています。文体は読みやすいので、ぼくのような人間でも理解しやすいです。また、チャンドラー本のワーテルローの部分でも引用されている箇所が多く見受けられます。R/Dさんのサイト大陸軍 その虚像と実像でも取り上げられています。ワーテルロー本は星の数ほどもあり、著者によって内容に喰い違いが生じたりするので、この本もどこまで信用できるのかはわかりませんが、内容がわかりやすいので、小説を書く際の参考にはうってつけです。

それでなのですが、この本の1914年版もそうですが、どちらも復刻版を既に持っているのにもかかわらず、94年前や72年前に出た初版本を購入してしまったわけです。一つは古書趣味からですが、もう一つは、復刻版の本の構造が信用できないからです。読み込んだらすぐにボロボロになりそうだからです。2004年に出た初版本の復刻版はヴォリュームがあるのにもかかわらず、ペーパーバックで、上質紙を使用しており、表面のフィルムなど、読んでいるうちに剥がれそうです。これでは本としての価値はありません。1995年に出た改訂版の復刻版は、ハードカヴァーではあるものの、一部のページが取れかけています。これも使い物にはなりません。それだったら、94年前や72年前に出て、人手を渡り、現在でも商品として流通している本のほうがそれだけ丈夫だということです。製本業者に言いたいのですが、本を作るのでしたら、100年でも200年でも長持ちするものを作ってほしいものです。読んでいるうちにボロボロになったり、ページが外れたりするようなものは役には立ちません。もっとも、今後は書籍もデジタル化される時代になるのでしょう。アナログ人間としては寂しいですが。

2008年7月27日 (日)

ナポレオンの元帥たち

本日、Amazon.co.jpに注文していたR・F・デルダフィールド著のナポレオンの元帥たち:栄光を追い求めた二十六人が届きました。訳者はこのブログの最初のお客様である大陸軍千一夜のシェヘラザードさんです。シェヘラザードさんがこの本を翻訳して出版されるという話はブログを見て知っていましたが、ついに本という形になったわけです。おめでとうございます。

届いてみて、想像していた以上のヴォリュームに驚きました。ソフトカヴァーですが、実に379ページもの分量があります。カヴァーイラストは「ナポレオン 獅子の時代」の長谷川哲也さんによるものでした。

この本の原書は読んだことがなかったので、チャンドラー編の元帥本のような列伝形式になっているものと思っていましたが、実はこの時代の流れを物語風に記述したものでした。著者は小説家で劇作家ということなので、そういう形になったのでしょう。

ざっと目を通してみて、三国志を思い出しました。ぼくはナポレオン戦争に凝る前は三国志ファンで、NHKの人形劇も好きでした。横山光輝さんの漫画は購入しませんでしたが、図書館などで一通り読みました。ナポレオン戦争に興味を持って思ったのは、日本語で読める本はナポレオン一人にばかりスポットを当てており、他の人物は脇役扱いされているのが不満でした。当たり前の話ですが、三国志の主人公は諸葛亮だけではありません。いろいろな人物の個性が描かれているのが醍醐味なのです。それはナポレオン時代とて同じことでしょう。映画「ワーテルロー」を見ればわかりますが、ナポレオンだけでなく、その部下たちや敵たちがいてこそなのです。日本でもナポレオン戦争を三国志風に描いた本が出版されたらとずっと思っていました。この本はまさにぼくが待ち焦がれていた本でした。

残念なのは、出版部数がわずか200冊だということでした。この本は、マニアだけでなく一般の読者にも充分に楽しめ、理解できると思うのです。このような本の読者が増えることで、多くの日本人にナポレオン戦争の面白さが伝われば万々歳なのですが…。できれば、NHKでナポレオン戦争の人形劇化が実現すればいいですね。

シェヘラザードさん、この大偉業、本当にお疲れ様でした。

[追記]本日、用心のために注文していたセヴンアンドワイからも届き、近所のセヴンイレヴンに受け取りに行きました。(7月29日)

[追記 その2]シェヘラザードさんのブログで知りましたが、600部増刷されるそうです。(7月30日)

2008年7月26日 (土)

The Campaign of 1815

本日、Abebooksに注文していたGaspard Gourgaud将軍のThe Campaign of 1815がアメリカの古書店から届きました。本体139ドル+送料12ドル=合計151ドルでした。この本の原書はフランス語で、1818年に出版され、その年のうちに英訳版も出ました。ぼくが入手したのは1982年の復刻版で、200冊限定出版で、175番という数字が振られていました。

文体を一読したところ、それほど難解な文章ではないようでしたが、何分も現在バイト中で、ゆっくり読む時間がないので、落ち着いたら熟読してみようと思います。ナポレオンがエルバ島を脱出したあと、ワーテルロー戦役の一連の出来事が記述され、敗戦の後に退位、ということまで書かれています。最後のAppendixにはいろいろな資料やフランス軍および連合軍の戦闘序列が記載されていました。

冒頭に著者の略歴が解説されていたので、簡単に触れてみます。著者は1783年に生まれ、軍隊には砲兵将校として入隊しましたが、1811年にナポレオンの幕僚に選ばれました。1813年のドレスデン会戦では、著者の報告がナポレオンをして当地の守備を決意させたということです。また、著者には武勇談があります。Birenneにてコサック騎兵がナポレオンを槍で突こうとしましたが、皇帝の傍らにいた著者がそのコサックを拳銃で射殺しました。当時の銃は単発式ですから、命中できなかったら抜刀して斬りあいをやるしかないので、危機一髪だったわけです。ワーテルロー会戦後、ナポレオンの随員としてセント・ヘレナ島まで同行しており、滞在中にナポレオンとの対談を著書にまとめています。1818年に帰国し、後にルイ=フィリップによって将軍に昇進されました。1849年に政界に入り、1852年に他界しました。

この本を読み終えたら、フランス語の原書にもチャレンジしてみるつもりです。

2008年7月23日 (水)

The Waterloo Despatch

昨日、AbeBooksで注文していたReginald Colby編のThe Waterloo Despatchがイギリスの古書店から届きました。本体28.82ドル+送料8.20ドル=合計37.02ドルでした。この日は夏のバイトの初日であり、チビネコが家族となった日なので、本日に持ち越しました。

これは1965年にワーテルロー会戦150周年を記念してウェリントン博物館で発行された43ページの小冊子です。副題がThe story of the Duke of Wellington's Official Despatch on the Battle of Waterloo and its Journey to Londonと長ったらしく、厳めしいのですが、それほど重要なもののようではありませんでした。9ページからThe Waterloo Despatchなる文章がざっと24ページにわたって書き連ねてありますが、ウェリントンの報告書をロンドンに届けた副官で第14軽竜騎兵連隊所属のHenry Percy少佐についてのエピソードでした。文章量は少ないものの、ちょっと難しい内容のようです。イラストや注釈も若干ありました。

昨日はバイトでくたくたですし、今日もこれから出勤しなければならないので、読みこなすのは当分、先のことになりそうです。それにしても、ここのところワーテルロー本を立て続けに買っています。自室の中には書棚に収まりきらない猛禽本とワーテルロー本が積ん読の山を形成しています。猛禽本はHPの作成に活かしているものはごくわずかですし、ワーテルロー本も〆切りを控えたコミケ小説の参考資料に活かしているのもごくわずかです。本は読んでナンボのものですし、それから何かを生み出してこそなので、シノプシスでも作らなければと焦燥感を覚えます。

2008年7月19日 (土)

Craanのワーテルロー・マップ

昨日、AbeBooksで注文していたDe CraanのWaterloo Mapがイギリスの古書店から届きました。タイトルはAn Historical Account of the Battle of Waterloo, Intended to Explain and Elucidate the Topographical Plan, Executed by W.B. Craan, Examining Engiceer of the Government Surveys of South brabant, Brussels 1817です。W. B. Craanなる人物が1817年に作成したワーテルロー会戦におけるフランス軍と連合軍の戦闘配置図とその解説を、Arthur Goreが英訳・加筆したものです。ぼくが入手したのは最近になって復刻されたもので、40ページの小冊子です。

内容はというと、著者が作成した戦闘配置図の全体および部分を拡大したもので、各部隊にはアルファベットが振られ、それについて連合軍およびフランス軍が解説されています。戦闘配置図は南北が逆になっており、つまり連合軍側から見たイメージなので、違和感があります。また、訳者によるカトルブラおよびワーテルローでの戦闘経過およびナポレオンの近衛軍団についての解説があります。ウェリントンの人物についても触れられていますが、サー・アーサー・ウェルズリー元帥には「ウェリントン公爵」以外にも気が遠くなるほどの肩書きがあり、目を通すだけでうんざりしてしまいます。

昨日は他にも、Amazon.frに注文していたMercer大尉のJournal de la campagne de Waterlooが届きました。これはJournal of the Waterloo Campaignの仏訳です。英語の原書は既に入手していますが、まだろくに読んでもいないので、これを読みこなした上で仏訳にもチャレンジしてみます。

2008年7月14日 (月)

The Waterloo Papers

本日、AbeBooksに注文していたThe Waterloo Papersという本がイギリスの古書店から届きました。本体12.24ドル+送料9.51ドル=合計21.75ドルでした。

この本はEdward Owen大佐が1998年に編集して出版したもので、ペーパーバックの74ページです。ワーテルロー戦役およびその前後の出来事について当時の人々が書き残したものをまとめたものです。

内容についてはまだ目を通していないのですが、ざっと以下の通りです。

Chapter One: An interview between Napoleon as First Consul and Lord Whitworth, the British Ambassador, 13 March 1803, The scene: a reception in the Tuileries gardens

Chapter Two: Letter from Ben Sydenham to Allen (sic) regarding the Convention of Cintra and Wellesley's part therein, 27 September 1808

Chapter Three: Lord Fitzroy Somerset's Account of the events, from 15-18 June 1815

Chapter Four: An anonymous but very vivid account of the Waterloo Campaign, Undated

Chapter Five: A Summary of the positions occupied by the various allied units engaged and an Analysis of the Battle of Waterloo into four different attacks by the French. Undated.

Chapter Six: A series of letters Ben Sydenham from his brother Thomas from Brussels and Paris. 5 July-11 August 1815

Chapter Seven: A letter from Captain GA Barlow to his Father Written in Paris 7 July 1815 about his experiences in the Waterloo Campaign

Chapter Eight: Napoleon's Apologia Pro Vita Sua given on board HMS Northumberland, 6 August 1815

Chapter Nine: Artillery at Waterloo, from Paris-25 August 1815

Chapter Ten: A Letter from Ben Sydenham to Allan, from Paris-5 November 1815

Chapter Eleven: Two letters from the Marquess of Anglesey to Allan-9 and 18 December 1815

続いてAppendixがあります。

Appendix One: A short appreciation of the character of Napoleon Bonaparte.

Appendix Two: A short appreciation of the character of the Duke of Wellington.

Appendix Three: Lord Whitworth

Appendix Four: Obituary of Benjamin Sydenham, Esq. Reproduced from The Gentleman's Magazine

Appendix Five: Memoirs of Thomas Sydenham, Esq. Reproduced from The Gentleman's Magazine

冒頭で、この本は通常のワーテルロー本とは違う、というようなことが書かれていましたが、 当時の人の記したものだけあって、コンパクトな割りには濃い内容のようです。簡単に読解するわけにはいかないでしょうが、入手したからには有効に活用したいものです。

2008年7月13日 (日)

クラウゼヴィッツ本

昨日のことですが、Amazon.co.jpに注文していた「クラウゼヴィッツのナポレオン戦争従軍記」が届きました。税込みで2310円でした(また、AbeBooksに注文していたW. Hyde Kelly著のThe Battle of Wavre and Grouchy's Retreatもイギリスの古書店から届きました)。

この本は、1冊の原書を翻訳したものではなく、2冊の内容を抜粋して編集したものです。内容は以下の通りです。

第一章 イエナ・アウエルシュテットの戦い

第二章 ナポレオンのロシア遠征

第三章 名将シャルンホルスト論

第四章 ワーテルローの戦い前後

そのうち一から三は、『クラウゼヴィッツ戦記選集』(1981 ベルリン)から、四は『クラウゼヴィッツの妻とグナイゼナウへの書簡集』(ナツィオン社 1953 ベルリン)からとった、ということでしたが、邦訳されていない原書の題名を日本語訳して紹介することに疑問を感じます。

「ワーテルローだけの男」であるぼくとしては、第四章に期待していたのですが、あまりページ数が割かれておらず、大して参考にはなりませんでした。戦闘に参加した著者による一次資料という点だけはありがたかったのですが。ただし内容や文体は「戦争論」よりも遥かに平易で、ぼくでも理解できました。

クラウゼヴィッツは1815年戦役についても著書があり、これの仏訳版であるCampagne de 1815 en Franceを持っています。ドイツ語が読めないぼくとしては、フランス語でも嬉しいのですが、この本もそれほど難解なものではありませんでした。「戦争論」は未だに読みこなせていません。

2008年7月12日 (土)

フランス語テスト返却

本日、先週の今日に実施されたフランス語のテストが返却されました。結果はあまり良くなかったものの(半分を辛うじて超えた程度)、合格で、賞状も授与されました。

テストの内容は主に文法で、特に半過去と複合過去の区別が問われました。まったくの点くれ問題から、難問題までさまざまでした。それ以外に仏作文がありました。この作文に、ぼくは熱意を注いだのです。

その作文の課題は、テスト用紙に記載されているアパートについての情報を用いて、家主との会話文を作るか、または自分のヴァカンスについてまったくの自由作文かの選択でした。もちろん、ぼくは後者を選びました。

そこで、2005年の6月に、ベルギーを旅行し、6月18日にワーテルローの古戦場を訪問したところまで書いたのですが、しまったと思いました。というのは、担任の講師(フランス人)はどうやらイギリスが嫌いなようなのです。日本に来て一番腹が立ったのは、英語で話しかけられたことだ、と言っていましたし、イギリスの悪口を言っていたりもしました。どうもフランス人がこういうことを言うと、ナポレオン時代、いや英仏百年戦争のころからの歴史的因縁と思えてしまうのです。だから、フランスがイギリスに敗北したワーテルローなどうっかり書いてしまったら、減点されると思いました。

そこで、なぜぼくがワーテルローに興味を持っているかを書くことにしました。理由はもちろん、騎兵戦における刀に対する槍の有効性です。具体的には、イギリス軍の竜騎兵がフランス軍の槍騎兵にやられたため、翌1816年にイギリス軍も槍騎兵を創設したのが興味深いのです。あとはネイ元帥が好きだからとお茶を濁しておきました。

その作文の点数は、20点満点中9点とあまり芳しくありませんでした。文法的なミスはわずかだったものの、「肝心のヴァカンスについて書いてないじゃないか!」とコメントされていました。ともあれ、トータルでは合格したので、ほっとしました。

その後、一端、自宅に戻ったところ、AbeBooksに注文していたKelly著のThe Battle of Wavre and Grouchy's RetreatおよびAmazon.co.jpに注文していた「クラウゼヴィッツのナポレオン戦争従軍記」が届いていました。これらについては今日はまだ目を通していないので、明日書きます。

午後4時から、そのクラスで担任を含めて水道橋のイタリアンレストランで打ち上げをしました。午後6時から表参道で二次会ということだったのですが、ぼく自身はフランス語学校の午後7時からの親睦パーティーに参加すべく、お茶の水に戻りました。そちらでは、直接の知り合いは過去の恩師4名(日本人3名およびフランス人1名)のみだったものの、いろいろ面白い人と知り合えて良かったです。実はぼくはこういうパーティーが苦手です。3年前に同じ大学の東京での同窓会なるものがあったので顔を出しましたが、知らない人ばかりで、しかも名刺を見たら、「○○社○○課」などという肩書をひっさげたスーツ姿のやつばかりで、ぼくのような“自由の槍騎兵”は一人もおらず、肩身の狭い思いをしたものです。それに比べると、さすがはフランス語学校、いろいろな人がいました。

2008年7月 8日 (火)

Boothのワーテルロー本

本日、AbeBooksに注文していたBattle of Waterlooという本がドイツの古書店から届きました。本体350.09ドル+送料8.50ドル=合計358.59ドルでした。この本はワーテルロー会戦と同年の1815年にJohn BoothとT. Egertonによって、この戦いに関する書簡や報告書などを編集して出版したものです。1817年ごろまで何度か版を重ねたようですが、ぼくが入手したのは1816年の第8版です。

実はこの本の復刻版は2005年にペーパーバックで出ており、Amazon.comにて安価で入手できます。それにもかかわらず、昔の本を購入したのは単なる古書趣味からです。要するに、ナポレオンがまだ生きていた時代に出た本が欲しかったというだけのことです。もちろん、値段のこともあります。AbeBooksで検索してみたところ、4件出品されており、一番高いものは1250ドルでした。さすがにそこまでお金をかけたくなかったので、上記の本を購入した次第です。

内容については既に復刻版を読んでいましたが、若干の相違がありました。復刻版は1815年の第4版を基にしており、第一部と第二部に分け、第一部のページをローマ数字で、第二部はアラビア数字で表記していましたが、今回入手した第8版はすべてアラビア数字でした。細部を比較すると、編集者による加筆や編註も若干つけ加えられていました。

復刻版を読んで前もって知っていたのですが、28ページにポンソンビー将軍の戦死について触れられています。

Here the brave, the lamented Sir W. Ponsonby fell, leading on his men to victory and glory.

The grief of his country and friends for his loss, will be aggravated by the knowledge that it is to be attributed as much to the fault of his horse, as to his too ardent courage, which carried him alone and unsupported into the midst of his enemies; the account that has been given of the death of this gallant officer is perfectly correct. He led his brigade against the Polish Lancers, checked at once their destructive charges against the British Infantry, and took 2000 prisoners; but having pushed on at some distance from his troops, accompanied only by one Aide-de-camp, he entered a newly-ploughed field, where the ground was excessively soft. Here his horse stuck, and was utterly incapable of Lancers approached him at full speed. Sir William saw that his fate was inevitable. He took out a picture, and his watch, and was in the act of giving them to his Aide-de-camp to deliver to his wife and family, when the Lancers came up: they were both killed on the spot. His body was found, lying beside his horse, pierced with seven lance wounds; but he did not fall unrevenged. Before the day was ended, the Polish Lancers were almost entirely cut to pieces by the Brigade which this officer had led against them.

ここで、ポンソンビーを殺害したのはポーランド槍騎兵だと書かれています。映画「ワーテルロー」でもそのシーンがありますが、ポンソンビーとその副官を刺殺した槍騎兵は青い軍服にチャプカ帽を着用しています。つまり、ポーランド槍騎兵の軍装です。しかしながら、多くの書籍ではポンソンビー旅団を迎撃したのはジャッキノ将軍の第1騎兵師団に属する第3および第4槍騎兵連隊ということになっています。これらはフランス人の部隊で、緑色の軍服を着て真鍮製の兜をかぶっていたはずなのです。フランス軍の戦闘序列を見た限りでは、皇帝近衛軍団に属するルフェーヴル‐デヌエット将軍の近衛軽騎兵師団の近衛槍騎兵連隊の1個大隊のみがポーランド槍騎兵です。映画の軍装は間違いだといえます。しかし、ワーテルロー会戦と同年に出版された本にこのようなことが書かれていたとすると、ポンソンビーを討ち取った槍騎兵はどの部隊に所属していたのか疑問です。ジャッキノの部隊にポーランド人の兵が所属していたのか、それともルフェーヴル‐デヌエットの部隊も迎撃に加わったのか、ますますわからなくなります。何冊かの本によると、ポンソンビーにとどめを刺したのはジャッキノ師団の第4槍騎兵連隊選抜中隊のUrban軍曹ということですが、この人物について知りたいと思っています。

2008年7月 7日 (月)

Recollections of my Life

本日、Amazon.co.ukのマーケットプレイスで注文していたRecollections of my Life including Military Service At Waterlooが届きました。イギリス軍の第23軽竜騎兵連隊のGeorge Blathwayt中佐の書き残したものを、2004年にGareth Gloverが編集して出版したもので、平綴じで32ページでした。本体2.50ポンド+送料7.00ポンド=合計9.50ポンドでした。同じシリーズとしてはやはりGloverが2006年に編集して出版したMatthew ClayのA Narrative of The Battles of Quatre-Bras And Waterloo;With the Defence of Hougoumontがあります。こちらも平綴じで44ページの薄い本です。

何しろ分量がわずかなので、すぐに完読しました。著者は1797年2月25日に生まれ、1814年に第23軽竜騎兵連隊に少尉として入隊し、翌1815年のワーテルロー戦役では中尉として参戦しました。同連隊は1816年に槍騎兵に改編されたり、解隊されたりしましたが、著者は1851年に中佐として退役し、1871年5月14日に永眠しました。

内容は、著者の幼少期から入隊して軍務についていた体験を簡潔に述べたものです。ワーテルロー戦役に関しては、6月16日のカトル・ブラ、17日のジュナップ、そして18日のワーテルロー会戦について記述されています。ジュナップでの英仏両軍の騎兵同士の遭遇戦では、著者の所属していた軽竜騎兵連隊はフランス槍騎兵と干戈を交えましたが、槍を装備したフランス騎兵に対し、軽騎兵では実力不足だったと書かれていました。重騎兵である近衛騎兵でやっと互角に戦えたわけです。また、ワーテルローでは著者の連隊はフランス胸甲騎兵とも渡りあい、これを撃退したとも書かれていました。

ワーテルロー会戦後はパリに進駐し、第23軽竜騎兵連隊のその後のことについてもざっと触れられていました。

2008年6月 8日 (日)

An Account of the Battle of Waterloo

本日でもって累計アクセス数20,000件に達し、1日の平均アクセス数は26件となりました。

昨日、AbeBooksに注文していたThe African Fish EagleとともにAmazon.co.ukに注文していたAn Account of the Battle of Waterlooが届きました。本体7.94ポンド+送料7.98ポンド=合計15.92ポンドでした。なぜ、この本を購入したかというと、Amazonでワーテルロー本を見つけると、何でもかんでも買ってしまう癖があるからです。

届いてみて、本の体裁に驚きました。ペーパーバックの116ページだと知っていましたが、平綴じで、いかにもコピーしました的な紙の束に表紙をつけて、ホチキスで2か所、留めただけの本でした。裏表紙には、ISBNのシールが貼られていました。

この本の原版は、ワーテルロー会戦と同年の1815年に、James Ridgwayなる人物が編集して出版したもので、それを1993年に復刻したようです。まず、Copy of a Letterなるものがありました。イギリス軍の参謀将校(名前は不明)が1815年7月10日、パリにて書いたもので、44ページもの分量があります。まだ、目を通していません。その次に、Appendixがあります。この戦いについてのイギリス軍、フランス軍、プロイセン軍の公式報告書(いずれも英文)が掲載されています。これらに関しては、やはりこの年にJ. BoothとT. Egertonが編集したThe Battle of Waterloo Containing the Accountsにも載っています。また、これらの和訳はこちらのサイトで読むことができます。

Amazon(日米英仏)を漁っていると、ときどきこのような資料が引っ掛かります。今のぼくは一般的な読み物を参考にするくらいの力しかないのですが、いずれは役に立つときが来ると思います。

2008年4月29日 (火)

Histoire de la Campagne de 1815

本日、AbeBooksに注文していたHistoire de la Campagne de 1815:Waterlooがドイツの古書店から届きました。本体295.14ドル+送料15.84ドル=合計310.98でした(ドル表示となっているのはAbeBooks.comにて注文したためで、AbeBooks.deだとユーロ表示になります)。著者のCharras中佐はフランスの軍人で歴史家です。この本は、1857年に出版されましたが、その後もいろいろな編集者によって再版されました。504ページで、巻末に関連地図が5枚収録されています。

内容に関しては、何しろ今日届いたばかりで、しかもフランス語ときていますから、さっぱりです。ただ、パラパラと見てみたところだと、それほど難解な文章ではないようでした。理想的には辞書なしで読みたいところですが、精読するには辞書と格闘することになるでしょう。いずれにせよ、151年前の本なので、生半可な気持ちでは読めないでしょう。

第1章 ナポレオンの帰還

第2章 百日天下

第3章 ナポレオンの作戦計画

第4章 6月14日、フランス軍のベルギーへの展開

第5章 6月14日、同盟軍の展開

第6章 6月15日、シャルルロワへの攻撃

第7章 6月15日、同盟軍の対応

第8章 6月16日、リニーの戦い

第9章 6月16日、カトル・ブラの戦い

第10章 6月16日、デルロン軍団の彷徨

第11章 6月17日、両軍の移動

第12章 6月18日、ワーテルロー会戦

第13章 同盟軍の勝利

第14章 6月18日、ワーヴルの戦い

第15章 グルーシーについて

第16章 ナポレオンの退却

第17章 グルーシーの撤退戦

第18章 同盟軍、パリへ

読んだわけではないのですが、大体このような内容です。この本を読みこなせるようになるのはいつのことか見当もつきませんが、地道にやっていくしかないようですね。

2008年4月23日 (水)

Napoleon and Waterloo(初版本)

昨日、AbeBooksに注文していたA. F. BeckeのNapoleon and Waterloo(1914年の初版本)がイギリスの古書店から届きました。本体159.57ドル+送料9.51ドル+追加料金9.31ドル=合計178.39ドルでした(ドル表示となっているのはAbeBooks.comで注文しているからで、AbeBooks.co.ukだとポンド表示になります)。

著者はイギリス軍の砲兵将校(この本を著したときは大尉)で歴史家です。1914年に出版された本書(副題はA Strategical and Tactical Study of the Emperor's Campaign with the Armee du Nord in 1815)は2巻からなり、1巻は361ページ、2巻は335ページです。著者は22年後の1936年にこの本を書き直し、320ページに短縮しています。

実はこの本、2004年に出た復刻版を既に入手しています。また1995年に出た再版本の復刻版も2005年にワーテルローの古戦場の売店で購入しました。再版本のほうが内容は理解しやすかったので、コミケに出品しているワーテルロー小説の連載の参考文献として活用していました。しかしながら、2004年に出た初版本の復刻版はほとんど読むことがありませんでした。この本はペーパーバックなのに、上質紙を使用しているせいか、やたらと値段が高く(Amazon.co.ukで28ポンド)、しかも傷みやすい感じがするので、読む気にならなかったのです。読み込んだらすぐにボロボロになりそうです。それでは使い物にならないので、思いきって1914年の初版本に手を出したのです。94年前の本が今でも残って商品となっているということは、それだけ丈夫だからです。

開封すると、思ったよりもヴォリュームのある本でした。ページはペーパーナイフで切り開かれたもので、地図も完璧に添付されていました。ありがたいのは巻末のDocumentsで、百日天下で書かれた手紙、命令書、報告書などが46通も掲載されていました。

今後は初版本と再版本を比較しながら、相違点などを検証する作業になりそうです。一朝一夕にはいかないと思いますが。

2008年2月 6日 (水)

The Waterloo Armies

ここのところ、ナポレオン戦争の話題から遠のきつつあります。決して放棄したわけではないのですが、モードがアッテンボローと猛禽に全開となっており、そちらのほうで邁進しているためです。二兎を同時に追うのは困難です。

2004年にネットユーザーとなったとき、まずはAmazonの利用法を知りました。そこでやったことは、日・英・仏・米のAmazonでナポレオン戦争本、といってもワーテルロー本ですが、とにかく片端から買いまくったものです。購入したワーテルロー本はコミケで出品する小冊子の参考文献として使用したのですが、ごく一部のみで、大半は部屋の片隅で積ん読状態となっています。いつかは活用しなければと焦っているのですが、ン十冊もの本を短期間に読み通すのはなかなかできることではありません。しかし、人生の終わりごろに、読んでおけば良かったと後悔するのも嫌なので、何か目標を定めねば、と思っています。

それでも、Amazonはチェックしており、未購入のワーテルロー本を見つけると、必ず購入しています。一昨年から猛禽本の割合が増しましたが、ワーテルロー本も見逃すわけにはいかないからです。今日、届いたPhilip Haythornthwaite著のThe Waterloo Armiesもその1冊です。

この本は、去年の10月に発売予定だということでしたが、なぜか今日まで待たされました。でも、やっと入手しました。この著者の本は他にも何冊か購読しており、ワーテルロー本も他に2冊あります。内容は、題名通りワーテルローで戦った軍隊についてのもので、ウェリントン軍(イギリス軍、ハノーファー軍、ブラウンシュヴァイク軍)、フランス軍、ネーデルラント軍、プロイセン軍の兵科、組織、戦術について解説されています。期待はずれだったのは、カラーイラストがなかったことでした。この著者の本では、将兵のイラストが多用されていることが多かったからです。ただ、他のワーテルロー本を参照すれば、何とかなるでしょう。武器や兵科についての解説は、他の著書で読んだことと似たりよったりでしたが、ワーテルロー熱から遠ざかりつつある現在、このような初心者にも易しい文章のほうが頭に入ります。今はアッテンボローと猛禽に全開ですが、このような時期にもワーテルローの灯を絶やさぬよう、目を通しておこうと思いました。

2007年11月20日 (火)

Amazon.frの怪

本日、Amazon.frに注文していたPierre LegeinとJacques Martin共著のWaterloo:Les Uniformes de l'Armee Francaiseが届きました。この本は、言ってみればワーテルロー開戦に参加したフランス軍将兵のイラスト集ですが、OspreyのMen-at-Armsシリーズとはちょっと異なり、マンガティックなものでした。この戦いでナポレオン率いるフランス軍は敗北し、ナポレオンの政治的生命に終止符を打ったわけですが、決してボロ負けしたわけではなく、どちらが勝つかわからないほどの接戦が9時間も続いたわけです。だから、この本でも勇壮なフランス軍将兵をこれでもかこれでもかとばかりに描かれています。特に、フランス槍騎兵などは勇ましいことこの上なく、彼らに滅多打ちにされたスコッツ・グレイズなどイギリス竜騎兵は惨めに描かれています。槍で刺殺されたポンソンビー将軍など、哀れなくらいです。ぼくはフランス贔屓なので、こういう本は大歓迎です。

それでなのですが、とんでもないことに気づきました。13ページに穴が開いていたのです。つまり、欠陥商品だったのです。自分のミスだったら仕方ありませんが、先方のミスだから、抗議する必要があります。返品して新しい本を送ってもらうことにしましたが、フランス語で状況説明する文章を書かなければと思うと、なんとなく気が重くなります。

[追記]この本は結局、Amazon.frに新品と交換してもらいました。手続きは思ったよりも簡単でした。

2007年10月16日 (火)

Young Winston

本日、Amazon.co.ukに注文していたYoung Winstonが届きました。Amazonでは品切れとなっており、マーケットプレイスに出品されていたものを購入しました。値段は6.60ポンド+送料3.58ポンド=10.18ポンドでした。

この映画はウィンストン・チャーチルの青年時代を描いたもので、監督はリチャード・アッテンボロー、主演はサイモン・ウォードです。日本では「戦争と冒険」として上映されたようで、学生時代にヴィデオをレンタルして見たことがあります。しかしながらそのヴィデオ(VHS)も廃盤となってしまって入手できず、もう一度見たいと思い続けてきたものです。

早速、オムドゥールマンの戦いの騎兵突撃のシーンを見てみました。1898年にイギリス・スーダン連合軍とダルウィーシュ(イスラム教の神秘主義修道僧)の戦いなのですが、イギリス軍は突撃してくるダルウィーシュ軍に対して近代火器で雨あられの弾幕を張る一方、騎兵隊が刀槍を振りかざして突撃していたりもします。チャーチルも参加した第21槍騎兵連隊は速歩、右旋回の後に突撃に移り、砂漠の中で槍を水平に構えて突撃します。チャーチルは嬉々とした表情ですが、敵陣になだれ込む直前で軍刀を鞘に納め、代わりにモーゼル半自動拳銃を取り出し、撃ちまくっています。しかしながら、騎兵の中にはダルウィーシュに馬から引きずり下ろされたり、馬ごと転倒したりしていて、かなり凄惨な戦闘が繰り広げられています。騎兵突撃が好きな人にはオススメです。

その他のシーンですが、まだ全部見てはいません。見るだけの時間的余裕がなかったのです。

2007年9月24日 (月)

原隊復帰 その2

本日、フランス語学校の秋学期が始まりました。また、I.H.先生の「初級会話」のクラスに入りました。このクラスには顔見知りが何人かいるので、原隊復帰のようなものです。

それでいつものパターンで、各人がそれぞれフランス語で自己紹介したわけですが、ぼくの場合、先生が何を言わせたいのかわかっているのです。ナポレオンについてです。だから、最初はわざとそらすことにして、ワシ(aigle)とタカ(autour)とハヤブサ(faucon)が好きだと言いました。ただ、他の学生さんにはそれだけではわからないというので、黒板にイラストを描きました。それから、出身大学(北大水産学部)もつけ加えました。しかしながら、先生はどうしてもナポレオンのことを言わせたいらしいのです。それでとうとう、J'aime la guerre napoleonienne.と言わざるを得なかったのですが、先生は黒板に、la guerre de Napoleonと書いたので、Napoleonではなくて、napoleonienneだと抗議しましたが、他の学生さんにもわかりやすくという意味で、Napoleonにしたそうです。なお、I.H.先生はぼくのことをColonelと呼んでいます。学生時代に大佐という渾名で呼ばれていたという話をしたのがきっかけです。

そのクラスでは、去年、別のクラスで一緒だった人と再会しました。世の中は狭いものです。その人は、当時は会社員で、パン屋の学校に通っていたそうですが、今は独立してパン屋さんになったということでした。

2007年8月19日 (日)

夏コミケ

本日、夏コミケに行ってきました。

コミケでは、ぼくの高校時代の友人が所属するサークルが出店しており、ぼくは6年前から自分の書いた小冊子を置いてもらっています。2年前から「ワーテルロー会戦」なる連載ものを書き始め、今回は第4章の「カトル・ブラの戦い」を書き上げました。これを15部印刷し、商売気を出して、過去に書いた3冊も5部ずつ刷り、計30部を友人に発走しました。1冊300円の値段をつけたので、完売したら売り上げは9000円になるはずでした。

会場へは、午後になってから出かけました。友人の話によると、例年だと午前中に売り切れるということでした。ところが、会場についてみると、友人のサークルは隅のほうで店を出しているとのことを知りました。嫌な予感がしました。行ってみると、案の定、ほとんど売れていませんでした。友人の本も同様です。やはり、辺鄙な場所だと客足も遠のくとのことでした。

結局、ほとんどが売れ残り、それを持ち帰る羽目になりました。それでも閉店間際に、以前、第1章の「ナポレオンの帰還」を買ってくれた人が、第2、第3、第4章とまとめて買ってくれたので、ぎりぎりで元は取れました。

本当は、いろいろな店をまわって、目ぼしいものがあったら買うつもりでいましたが、意気消沈していたために、友人の作品を4冊買ったにとどめました。別の店に、軍服のカタログみたいなものがありましたが、軍服を着ているのイラストが美少女キャラクラーものばかりだったので、買う気がしませんでした。

閉会後、友人とそのサークルのメンバーと一緒に新宿で飲みました。みんな歴史、特に日本史が好きで、ぼくにはついていけないくらいマニアックな話題で盛り上がりました。その後、カラオケ店にも行きましたが、ぼくは歌を知らないので、ただ居ただけでした。

2007年7月29日 (日)

敵の酒保女が…

映画「ワーテルロー」で、ナポレオンがウェリントン軍のスコットランド高地兵を見て、「婦人部隊を繰り出したのか」とつぶやくシーンがあります。これは、映画を製作する上での脚色だと思うのですが、David Johnson著のNapoleon's Cavalry and its Leadersのケレルマン将軍の項(156ページ)に次のような話がありました。

ワーテルロー会戦の前哨戦であるカトル・ブラの戦いで、ケレルマン指揮下の第8胸甲騎兵連隊が突撃したあとのことです。同連隊の15歳のラッパ手はこのとき初めてキルト姿のスコットランド高地兵を見て、女性だと思い込みました。彼は連隊長に報告しています。

「敵の酒保女(cantinieres)が我々を銃撃しました」

酒保女とは軍隊に同行して兵士たちに酒を売っていた女性のことですが、このラッパ手はスコットランド兵を見ててっきり敵の酒保女だと思ってしまったわけです。この話はどこから引用したのか不明ですが、面白いと思いました。もっとも当時の軍隊には男装して戦闘に参加する女性も少なからず存在していました。

David Johnsonの著書は学生時代、大学生協の書籍部で注文して購入しました。そのときはざっと目を通したあと、ずっと放ったらかしにしておいて、つい最近になって読み直してみたときに、そういえばあのときにもこの話を読んだな、と気づきました。

ところで、1996年にワーテルローの古戦場に行ったとき、売店で映画「ワーテルロー」のフランス語の吹替え版(VHS)を購入しましたがPALのため、自宅のヴィデオデッキで再生できませんでした。DVDだったらPCで見ることができるのですが。やはりフランス人の台詞はフランス語で聞きたいです。ネイ元帥には「チャージ!」ではなく、「シャルジェ!」と叫んでほしいものです。

2007年5月15日 (火)

鷲章旗奪取の謎

今日で36回目の誕生日です。また一つ年を取りました。10年前に病気になって以来、毎年この日が来るたびに憂鬱な気分になっていたものですが、今年は開き直ったのか、そうでもないのです。もっとも、ナポレオンは今のぼくと同じ年でフランス皇帝だったし、ネイは元帥府に列せられていたので、今の自分は一体何をやっているのだろうと思ったりもします。

ぼくがナポレオン戦争で一番興味があるのが1815年のワーテルロー戦役です。というより、それ以外の戦役についてはまるで疎いのが実情です。何しろ、ナポレオン戦争はあまりにもスケールが大きいので、すべてをカヴァーするのには限界があります。例えば、出版されている書籍は膨大な量なので、全般的に入手するのは金銭的に不可能だし、仮に購入できたとしても、すべての書籍を読みこなすだけの時間的余裕がありません。だいたい、ナポレオン戦争の他にも猛禽類をはじめとする動物関係にも興味があるので、両立させるのは一苦労です。だから、ナポレオン戦争のほうはワーテルロー関係で手一杯なのですが、なぜワーテルローかというと、セルゲイ・ボンダルチュク監督の映画の影響によるものです。

そのワーテルローで一番興味があるのが、ポンソンビー将軍率いるイギリス竜騎兵の突撃です。映画では、イギリス騎兵はフランス軍の砲弾をかいくぐって突撃し、砲列へ突入しますが、ナポレオンの命令で反撃してきたフランス槍騎兵に側面攻撃されて敗走し、ポンソンビー自身も乗馬が泥に足を取られて身動きできなくなったところを、追跡してきたフランス騎兵の槍にかかってあえない最期を遂げました。

このシーンはナポレオン戦争に興味を持ち始めたぼくにとって強烈でした。まず、将軍クラスの軍人が突撃の先頭に立って、白兵戦で戦死したり、19世紀の戦争では火砲が主力だと思っていたら、騎兵隊が刀槍を振りかざして突撃する、というのが信じられませんでした(日本史では、長篠合戦の定説の影響が大きいため)。また、当時のイギリス軍には槍騎兵が存在せず、翌1816年に新たに騎兵の武器として槍を導入したというのが驚きでした。

映画では収録されていませんが、ポンソンビーの騎兵旅団はまず、フランス軍のデルロン軍団の歩兵隊に突入して蹂躙し、敗走させます。このとき、フランス軍の第45および第105連隊の鷲章旗を奪取しています。このうち第45連隊から奪取したのは第2竜騎兵連隊(スコッツ・グレイズ)のチャールズ・ユアート軍曹です。彼の証言によると、まず、旗手の頭部に一太刀浴びせ、次に槍騎兵から槍を投げつけられたが、刀で払いのけて相手の顎を斬り、さらに彼に向かって発砲したあとに銃剣で突いてきた歩兵の頭部に斬りつけた、となります。この証言はさまざまなワーテルロー本に載っています。ぼくが疑問に思っているのは、彼に槍を投げつけたフランス騎兵はどこからやってきたのか、ということなのです。軍旗を奪取したら、速やかに自陣に持ち帰るはずなのに、そのあとも突撃を続け、槍騎兵に攻撃されたことになります。あるいは、フランス騎兵がイギリス騎兵の側面に突入したときも、イギリス騎兵はフランス歩兵相手に乱戦状態にあったのでしょうか。多くのワーテルロー本の戦況図には漠然としたことしか載っていないのですが、Ian FletcherのGalloping at Everythingという本では、ぼくが疑問に思っていた点について、少しだけ触れられていました。できれば映画でもこのシーンを収録していれば良かったのですが。

2007年3月14日 (水)

ドイツ語学習開始

一昨日、書店でドイツ語の入門書(CD付き)を購入しました。今年に入ってから突然、ドイツ語の学習を始めようと決意しました。ドイツ語の学習など、生まれて初めてです。中学時代に英語を始め、大学の第2外国語でフランス語を選択し、それ以外の外国語には縁がないだろうと思っていたので、自分でも驚いています。

目的はもちろん、ナポレオン戦争についてのドイツ語の文献を読むためです。といっても、ドイツ語ではどのような資料があるのか、ろくに把握していない状況ではあります。また、そのようなものを読みこなせるようになるには、何年かかるか見当もつきません。何しろ、フランス語も12年かかって、やっと目を通せるようになったくらいですから。

ドイツ語を学ぶ目的として、フランス語に自信をつける効果もあります。どういうことかというと、ぼくは今、フランス語で四苦八苦しています。しかし、ドイツ語だともっとわからないはずです。そうすると、ドイツ語に比べれば、フランス語のほうがまだましではないか、というわけで、自信がつくのではないかという効果を狙っているわけです。かつて、フランス語と英語の関係がそうでした。

早速、アルファベットと発音のところから始めました。アルファベットの読み方は、英語やフランス語とも若干異なり、混乱しそうです。おまけに、ドイツ語特有の文字(ウムラウトとエスツェット)もありますし。発音は英語よりも規則的で、一端覚えたら、身に着きそうでした。

ドイツ語で思い出すのは、予備校時代のとある英語講師のことです。その先生は、二言目には「大学へ行ったら、ドイツ語をやれ。フランス語は難しいからとるな」と言っていました。まあ、ぼくはその当時からフランス語を選択するつもりだったので、聞き流していましたが。その先生はこんなことも言っていました。「特に男は絶対にドイツ語をやれ。男がフランス語を喋るのは気持ち悪い」とも言いました。男が“Vive l'Empereur!”と言うのは気持ち悪いのか?とも思いましたね。一昨年、フランスに旅行に行きましたが、パリで見かけたフランス人の男性たちは、日本人男性よりも遥かに男らしいと感じました。変なたとえですが、軍服を着せたら似合いそうな人が多かったです。まあ、その先生も「フランスの歴史や文化に興味のある人ならとってもいい」とも言っていましたが。

大学でフランス語を選択したのは正解だったと思っています。いくつかの単位でいずれも合格したからです。ドイツ語とロシア語を選択した連中は、不可をとったやつが多かったようです。もっとも、フランス語の教官にはいい加減に成績をつけていた人が多かったようでしたが。

学部時代の友人で、ドイツ語にやたらと詳しい男がいました。ぼくはよく彼に、ナポレオン戦争で活躍したドイツ人やドイツ語の地名などを質問していました。最初は快く答えてくれた友人も、ついにキレて、「自分で調べろ」と言いました。そのときは、ドイツ語を学ぶことなど生涯ないと思っていたのですが、今、こうして始めてしまったのです。

しかし、今になって思うのですが、中学時代に熱帯魚の熱烈な愛好者だったぼくが、そのままの路線で行ったら、大学ではドイツ語を選択したと思うのです。ドイツは熱帯魚の先進国で、日本人の熱帯魚マニアには、ドイツ語の文献を読みこなしている人が多いようです。今後もまた熱帯魚に凝るかもしれないので、それもまた楽しみではあります。

2006年12月30日 (土)

冬コミケ

今日は冬コミケに行って来ました。ここでは高校時代の友人が所属しているサークルで出店しており、ぼくは会員ではないのですが、毎回、自分の書いた小冊子を置いてもらっています。今回は、「ワーテルロー会戦」のVol.3の「リニーの戦い」です。ワーテルロー・シリーズの3回目ですが、表紙に人物の肖像画を印刷しています(要するに、手持ちの本に載っている肖像画を勝手にコピーして使用しているのですが)。1回目はナポレオン、2回目はスールト元帥で、今回はブリュッヒャー元帥でした。

当日、午前10時に起床しました。連日の徹夜で、体内時計が狂ってしまい(よく考えてみたら、半年前からそうなのですが)、会場に到着したのは正午でした。すぐに友人の店に直行したのですが、幸い我が作は完売し(10部しか刷らなかったのですが)、売上金3,000円を受け取りました。もっとも、値段をつけるのは、あくまでもタテマエ上です。ぼくは1冊しか執筆しなかったのですが、友人は新刊だけでも4冊出し、過去の作品も改訂して出品していました。話を聞いたら、一晩で1冊書き上げることもあるといい、そのヴァイタリティーに敬服しました。

それで、会場をうろつきまわって、何冊かの小冊子を購入しました。アメリカ南北戦争のチャンセラーズビルの漫画がありました。その他、英仏百年戦争や日露戦争についてのものもありました。読んでみて思ったのは、一般の書店では絶対にお目にかかれないようなマニアックな内容でした。これらについて、詳しく知りたかったら、国会図書館で検索するか、洋書を漁るしかないのかもしれません。

その後、帰宅したのですが、売上金でフランス産の赤ワインを購入しました。これは、まだ飲んでいません。

疲れたので、この辺で。

2006年12月29日 (金)

ネット中傷 その2

さて、昨日の日記で「明日また」と締めくくりなのですが、昨日にとんでもないものを発見したのです。そうです、ネット中傷です。某ブログにぼくを中傷するようなコメントがありました。書き込んだのは、10月12日にも触れたI氏でした。具体的にはどのようなものなのかはここで触れることはできかねますが、2年前の恐怖がよみがえりました。ただ、このような場合には即、警察に相談すると決めてありました。これは、戦場で敵が騎兵突撃をかけてきたら、方陣を組んで迎撃する、くらい当然の反応です。

以下は警官とのやりとりです。若くて誠実そうな方でした。

「どうされました?」

「実は、インターネットで自分の悪口を書かれまして…」

「というと、2ちゃんねるか何かですか?」

「いえ、個人のブログのコメントです。書いた人間は誰なのか、わかっています」

(以下、中略)

「それで、今回が初めてではなく、2年前にも別の掲示板で同じ人物から書かれましてね。そのときには手立てはなかったのですが、実は自分は神経症を患っていまして、病院に通っているのですが、そのせいかどうか、精神的に苦痛でした」

「そりゃ、誰でもそうなりますよ」

なかなか親切なお巡りさんでした。

「それで、どうされたいのですか」

「できれば、大ごとにはしたくないのです。そのコメントが削除されれば、それでいいので。しかし、書き込んだ人間には以前もメールで抗議したのですが、それをネタにさらに書かれる始末で…」

「書き込んだ人間のアドレスはわかっているのですか」

「わかっています」

「そうですか。それでしたら、その人に一度メールを送って、コメントを削除するように要請してください。それでも削除されなかったり、さらに書き込まれたりした場合は、刑事告訴の手続きを取ってください。また、その旨を相手にはっきり伝えてください。そのときには出るところへ出てもらうと。また、そのブログおよび相手と取り交わしたメールは保存して、証拠資料として提出してください」

そうして、ぼくは家に戻りました。これ以上、詳しいことは書けません。

2006年11月 7日 (火)

小説家断念

冬コミケの時期が近づいてきました。そろそろ、出品するワーテルロー小説の執筆にかからねばなりません。次回は「リニーの戦い」について書く予定です。もっとも、出店の件は友人に任せているので、出店できなければ仕方がないのですが。

そのワーテルロー小説についてですが、今から13年前の浪人時代に受験勉強の余暇として書いていた「ワーテルロー会戦」なる小説を書き直してみようと思って始めたのですが、これは文字通り、6月18日の決戦に的を絞って書いたものなので、前哨戦は省略しています。そもそも当時、前哨戦についての詳しい資料など手元になかったので、そうなるわけですが、現在でも書こうと思っても今一つ書き進められないのです。戦闘経過そのものについては、前哨戦もひっくるめたワーテルロー本を読めば、「○○将軍率いる第○師団が…」ということは書いてあるのです。しかしながら、それを「小説」という形にするとなると、情景が思い浮かばないのです。最大の理由は、6月18日のワーテルローでの決戦については映画「ワーテルロー」を見ればイメージできるのですが、この映画では前哨戦は省略されているので、ぼくのように想像力の乏しい人間には上手く書けないのです。そういうわけで、前回と同じく、大学生のリポートもどきのキメラ文章になってしまいそうです。

そもそもぼくが13年前にワーテルロー小説などを書いていた理由に、ナポレオン戦争で活躍した軍人たちの人物像を追求してみたかったことがあります。というのは、ナポレオン戦争に興味を持つ前に三国志に夢中になっていた時期があるからです。三国志の醍醐味と言えばさまざまな個性を持つ登場人物ですが、ナポレオン戦争における軍人たちもそれには負けていないと思うのです。ところが、日本語で読める本では、ナポレオン1人が主人公で、その他の人物は脇役扱いされている嫌いがあります。そのため、ナポレオン以外の人物にもスポットを当てるべきだ! ナポレオン戦争も三国志のように描くべきだ! と憤っていたわけです。まだぼくも若かったのですね。この小説を書いて、友人に読んでもらったところ、「各将の性格がわかって面白い。人間ドラマとしても楽しめた」と言われたときは本当に嬉しかったです。しかし、よく考えてみれば、ぼくの人物描写は映画「ワーテルロー」を見たからこそ、だったのです。つまり、映画で描かれていた人物像をそのまま文章に反映していたわけですね。だから、ワーテルローでの決戦は書けても、映画で省略されている前哨戦となると、大学生のリポート程度のものしか書けないのです。

どうも、ぼくという人間は、実際に起こった出来事を書くことはできても、空想したものは書けないところがあります。要するに、創造力がないのです。ファンタジー小説のようなものはまったく自身がありません。ワーテルローのような歴史上の話を書くにしても、リチャード・シャープ中佐やピエール・ポワソンシャー中将のような架空の人物を登場させることはまず不可能です。せいぜい、ナポレオンやウェリントンやネイのような実在した人物を書く程度です。ここで思い出したのですが、ぼくの友人でファンタジー小説を書いている人がいます。彼に、「今、ナポレオン戦争を題材にした小説を書いている」と言ったところ、「事実に捉われなくていいんだよ。きみなりに創造したナポレオンを描けばいいんだよ」という大変ありがたいアドヴァイスをもらったのですが(この友人はナポレオンのことはよく知っていません。織田信長をモデルにして創造した剣豪小説を書いているそうです)、ナポレオンというのは歴史上実在した人物です。しかも世界史上、おそらくイエス=キリストを凌いで最も有名な人物です。このような人物を下手にイメージした小説などを書いてしまったら、読者に対して自分の世界を押しつける形になってしまい、誰も読んでくれないでしょう。読者あっての小説なのです。読者を引きつける自信があればいくらでも想像を膨らませればいいのですが、それができないのであれば歴史上の事実をわかりやすく語るに留まったほうが賢明かと思います。

さて、昨日のことですが、Amazon.co.jpに注文していたMichael Sheera著のThe Killer Angelsが届きました。映画「ゲティスバーグ」の原作です。この映画は好きなので、原作も読んでみたかったのですが、アメリカ南北戦争についてあまり詳しく知らないので、読めるかどうか不安でした。でも、文章が読みやすくてぐいぐい引きつけられました。しかし、同時に実感しました。

「やはり、自分には小説は無理だな」。

2006年10月12日 (木)

ネット中傷

前回の記事は、Kさんに対する不満をぶちまけるという形になってしまいました。これを読んで、Kさんが不愉快に思われたのなら、お詫びします。

Kさんが、ぼくのサイトのアドレスを2ちゃんねるに書き込んだことに抗議をしたわけですが、そこまで神経質になることはないと思われるかもしれません。確かに、Kさんに悪意がなかったことは理解しています。しかし、思慮に欠ける行為であったと思います。ある人のサイトに「リンクの際には御連絡下さい。どこのサイトからリンクされているかわからないと、不安で気持ち悪いからです」とありましたが、ぼくも同じです。そして、2ちゃんねるのようなところに書き込まれると、書いた人に悪意がなくても、それがネット中傷という2次的な被害につながる恐れがあります。というのも、現実にぼくはネット中傷を受けたことがあるからです。

ぼくがネットユーザーになったのは、2004年の4月とかなり遅いです(もっとも、ぼくの友人でいまだにネットを使用していない人もいるのですが)。そしてその1か月後に早くも自分がネット中傷を受けていることに気づきました。これについて詳しく書いてしまうと、また新たなトラブルが発生するため、ここでは省略します(知りたい方は個別にメールでお問い合わせください)。簡単に言ってしまうと、C氏なる人物のサイトの掲示板で、管理人のC氏と常連のI氏とN氏の3人でぼくの悪口を言いたい放題言っていたのです。具体的にはぼくの名前を出していたわけではありません。ただ、明らかにぼくに対する個人攻撃であることは事実でした(このサイトを見た友人もそう言っていました)。正直言って、かなりの精神的苦痛を受けました。警察に被害届を出そうかとも思いましたが、ぼくの名前を出していたわけではないので受理されるかどうか不安で、見合わせました。また、こういうことを警察沙汰にしてしまうと、かえってエスカレートするという話も聞きました。現にI氏にメールで抗議したこともあったのですが、彼はメールでは適当にはぐらかしておいて、その内容をネタにしてさらに中傷を続けていました。対抗策もないまま、ずるずると時間が経過しました。

そして2005年の5月のことです。C氏のサイトがフッとネット上から消えてしまいました。最初のうちは理由がわかりませんでした。ただ、近いうちに復活するのではないかという不安に脅えていました。そんなある日、別のサイトの掲示板にこんなことが書いてありました。「Cさんの訃報に接して」。どうもC氏は死亡したようです。このときは心の底からホッとしました。これでC氏のサイトは閉鎖され、ぼくの悪口を書いた掲示板も消えてしまったわけです。そこで、気づきました。「これはひょっとしておれの呪いが通じたのでは?」。

以下の話は怪談めいてくるのですが、ぼくはかつて人を2人ほど呪い殺した経験があります。2人とも小学生時代の同級生で、ぼくと仲が悪かったのです。1人は某有名私立校に進学しましたが、中2のとき、自殺しました。もう1人は高校でも一緒になってしまったのですが、中退し、その後まもなく交通事故で死にました。そのためか、友人の間では、ぼくには人を呪い殺す力があると信じられているようなのです。まあ、ぼくも本気でそんなことを言っているわけではなく、単なる偶然と片づけてしまえばそれまでですが。

今、気になっているのは、その後のI氏とN氏の動向です。こいつらはまたネット中傷でもやりはしないかと思うと恐怖心を覚えます。ただ、こいつらに言っておくと、ぼくは人から嫌がらせを受けた場合、必要に応じて対処できる人間だということです。はっきり言ってしまうと、今度ネット中傷をやったら即、警察に被害届を出します。ネット中傷が原因で神経症にでもなったら、傷害罪で告訴する値打ちはあります(なお、人を呪詛しても罪には問われません)。

と、強がってはみましたが、やはりネット中傷に対する不安があります。ホームページを作ろうと思っても、すぐに実行できなかったのはその不安があったからです。だから、Kさんの書き込みに対して過剰な反応をしたのかもしれません。

2006年9月26日 (火)

原隊復帰

今月から、フランス語学校の秋学期が始まります。そこで、以前に所属していた「初級会話」のクラスを再度申し込みました。というのも、このクラスには顔なじみの人が何人かいるのです。原隊復帰といったところでしょうか。昨日、最初の授業が始まったのですが、知っている人が5人ほど来ていました。

さて、ぼくは前にそのクラスにいたとき、ナポレオン戦争についての話を2回喋ったので、「ナポレオン好き」で通っているのです。自分では「ナポレオン戦争好き」のつもりなのですが、そこのところがわかってもらえないのです。担当の講師からは「ムッシュー・ナポレオン」なる渾名を頂戴し、他の学生さんからもそのように呼ばれてしまうわけです(シェヘラザードさんだったら、「マダム・ナポレオン」になるでしょうね)。いったん、こういうイメージが定着すると「いや、おれが好きなのはナポレオンじゃなくてネイ元帥なんだ」と言っても徒労に終わることになります。そこで、秘かにイメージチェンジを考えていたのです。

そして、昨日の授業で、全員が自己紹介をフランス語でやりました。ぼくの番になって、最初に姓名と住んでいる場所と職業について喋ったところ、先生が、「好きなものを言いなさい」と言うのです。そこで、「動物、特にネコが好きです。また、鳥も好きです。特にワシとハヤブサが」と言ったのですが、悲しいことにぼくは動物の仏語名の語彙がまるで乏しいのです。タカのことは何というのか度忘れしてしまいました。そしたら、先生は「他にも好きなものがあるでしょう」と言うので、「歴史も好きです。特にナポレオン戦争が」と言ってしまいました。先生は例によって「ムッシュー・ナポレオン」と呼ぶので、もう破れかぶれになって「ナポレオンよりもネイ元帥の方が好きです」とつけ加えたのですが、ネイ元帥といってもおそらく他の学生さんには何のことだかわからなかったでしょう。

最近は猛禽熱が上昇しつつあるのですが、今からフランス語の本を読んでもモノにはなりそうもないし、イメージチェンジも難しそうです。

2006年7月29日 (土)

独断専行

7月に入ってから更新が遅れ気味ですが、これというのも某同人誌に載せるためのワーテルロー小説の執筆に追われているためです。今、書いているのは6月15日に国境を越えてベルギーへ侵攻したフランス軍とプロイセン軍の交戦についてです。こういうものを書くときには文献が必要になるのですが、今のぼくには一次資料を漁って検討するなどという高級なワザは無理なので、一般向けの読み物に当たるしかありません。そのようなわけで、チャンドラーの「ナポレオン戦争」とEsposito & EltingのA Military History and Atlas of the Napoleonic Warsを参考にした結果、両書のキメラみたいな文章ができあがりました。ここの辺りのことは映画では省略されているので、なかなか情景が浮かび上がりません。〆切まで1週間弱あるので、他の本も読んでみるつもりです。

執筆していて気づいたのですが、ただ単に本を読むだけではなかなか頭に入ってきません。この日の戦いは、サンブル河を渡ったナポレオンが、ツィーテン将軍のプロイセン軍第1軍団を攻撃し、ツィーテンは戦いながら後退します。そのため、シャルルロワをはじめ、テュアン、マルシエンヌ、ゴスリーといったベルギーの地名がでてきます。そのため、これについて文章にまとめるには、地図を見ながら両軍の動きを確認する作業が必要になってきます。実際に手を動かすのが重要なのは受験勉強と同じです。

ところで、前回はグルーシーの話をしましたが、ここで軍人の独断専行についてつけ加えておきます。彼は6月18日に主戦場からの砲声を聞いたとき、すぐに駆けつけるべきだったとよく言われていますが、それが原因で敗北したら、彼は当然、罰せられるわけです。しかし、そのことが勝利につながったとしても、彼が英雄になることはないと思われます。ナポレオンの栄光の勝利が一つ増えるだけです。ナポレオンのような人物の下で働くということは、損な役割なのです。ぼくがナポレオン戦争についての書籍を読むとき、ナポレオン自身よりもマイナーな部下の将兵の活躍に魅かれるのも、そのせいかもしれません。

独断専行といえば、6月15日にウェリントン軍のコンスタン‐レベック将軍がやっています。ナポレオンのベルギー侵攻の際、ウェリントンは敵が西側のモンス経由で迂回してくると勘違いしてその方面に部隊を配備していたわけですが、実際にはフランス軍はシャルルロワ‐ブリュッセル街道をまっすぐに北上することになります。これに気づいたコンスタン‐レベックは独断で部隊をカトル・ブラに移しました。これはウェリントンの命令に違反する行為ですが、結果的に連合軍を救うこととなりました。ウェリントンのような人物でさえ、人間である以上、ミスをやるのです。だからといってコンスタン‐レベックが英雄視されてはいません。ナポレオンに対する勝利の名声はウェリントンが独占しています。シャープ・シリーズのワーテルローには登場しますが、主人公シャープ中佐と馬鹿殿プリンスの間を取り持っているにすぎません。彼のことをもっと評価してもいいのにと思っています。

2006年7月21日 (金)

グルーシー元帥の立場

1815年のワーテルロー戦役では、6月18日にグルーシー元帥の別動隊がナポレオンの本隊と合流してウェリントンにあたっていればフランス軍が勝てたとよく言われています。そのため、主戦場からの砲声を耳にしながらプロイセン軍の追跡にこだわったグルーシーがとかく非難されがちです。しかし、戦闘の経過が明らかとなった現代において、ベルギーの地図を見ながら議論しても仕方がないかもしれません。ここでは、グルーシーはなぜ、このような行動をとったのかについて焦点を当ててみたいと思います。

6月16日、リニーの戦いでナポレオンはブリュッヒャー元帥のプロイセン軍を撃破します。翌17日にナポレオンはグルーシーにブリュッヒャーの追撃を命じ、自身はカトル・ブラのネイ元帥と合流し、ウェリントンを追ってワーテルローに至るわけです。一方、グルーシーはナポレオンの命令を墨守し、18日には皇帝と合流すべきだというジェラール将軍らの意見に従わずにワーヴルまで進軍し、ティールマン将軍の守備隊と交戦します。このときにはブリュッヒャーはワーテルローに駆けつけ、ナポレオンの敗北は決定的になるわけです。

このときのグルーシーの行動を、柘植久慶さん的に言えば、こうなるでしょう。

私がド=グルーシー元帥なら、6月17日のうちにプロイセン軍を捕捉・殲滅し、フォン=ブリュッヒャー元帥を戦死させるか捕虜にしてしまう。しかる後にワーテルロー方面のナポレオンと可及的速やかに合流してウエリントン卿にあたり、勝負あったとなる。ワーヴルから駆けつけたフォン=ビューロー将軍の部隊も、圧倒的な兵力差でもってたちどころに撃破してしまうのは言うまでもない。

しかしながら、もしぼくがグルーシーの立場にあったら、やはりナポレオンの命令に従わざるを得ないと思います。というのも、軍隊という組織では上官の命令が絶対だからです。命令に背いたら、多くの場合、軍法会議にかけられて処罰されます。もちろん、上官も人間である以上、間違いを犯すこともあります。そのような場合、優秀な部下であれば独断専行によってフォローします。しかし、すべての軍人にそれができるわけではありません。命令に違反する行為が是か非かをその時点で判断するのは困難が伴うのです。

グルーシーは確かに、後世の評価はマイナスかもしれません。しかし、ブリュッヒャーの追跡にこだわった点で非難されるのは筋違いではないかと思われます。というのも、それはナポレオンの命令だからです。よって、その命令が失敗だとした場合、ナポレオン自身の責任に帰するべきであって、グルーシーはそれに従っただけなのです。これも、ナポレオンという人物が英雄になってしまったため、その失敗をグルーシーに着せてしまった嫌いがあります。

さて、6月19日の朝、グルーシーはワーヴルで、ワーテルローにおけるナポレオンの敗報を受け取ります。その後の彼の行動は目を見張るものがあります。軍の残余を率いて、追跡してくるプロイセン軍相手に見事な撤退戦を演じています。これはナポレオンの命令ではありません。グルーシー自身の責任で行なったものです。グルーシー元帥という人物は、ナポレオンという上官の下ではその命令に従うことしかできないかもしれませんが、自分自身が全責任を担う状況では十二分に能力を発揮できるのではないでしょうか。

2006年7月15日 (土)

Marechal Michel Ney

5月13日のLa Grande Armeeの続きの話です。フランス語学校の「初級会話」でナポレオンの軍隊について喋ったわけですが、その3週間後に、今度はMarechal Michel Ney(1769~1815)と題してネイ元帥について紹介することになりました。以下がその文章です(例によって、アクサン・テギュ、アクサン・グラーヴ、セディーユは書けませんでした)。

Michel Ney est le plus fameux des marechaux de Napoleon. Il etait un fils d'un tonnelier de Sarrelouis.

Ney s'engagea comme soldat en 1787 et gagna tous ses grades au cours des guerres de la Revolution. Il est nomme marechal de l'empire en 1804. Il combattu en Allemagne et en Espagne de 1805 a 1811.

En 1812, Ney s'illustrait au cours de la campagne de Russie. Il a recu le suinom le brave des braves par Napoleon.

En 1815, la bataille de Waterloo, Ney a commande la grande charge de la cavalerie contre les Anglais. Son cheval a ete tue et son sabre s'est casse. La bataille a ete battue.

Apres Waterloo, Napoleon a eu deporte a Sainte-Helene, Ney a ete condamne a la fusillade comme rebelle.

おわかりかと思いますが、ものすごく端折っています。ワーテルロー会戦で彼が失った乗馬は5頭ですが、複数形にするのは面倒なので、単数形にしておきました。それから、まだ学習していない複合過去形を使用していますが、これはJacques LogieのWaterlooからパクりました。

それで、他の学生さんからの反応ですが、やはりネイ元帥といってもピンと来ないようでした。というか、ある人(歯科医師)から「ナポレオンの話をしてくれると思った」と言われてしまいました。ぼくはいつも自己紹介の際、J'aime la guerre napoleonienne.と言っているのですが(ワンパターンだな)、「ナポレオン戦争」という言葉を「アメリカ南北戦争」とか「日露戦争」と同じような意味で使っていても、ナポレオンという特定の人物と結びつけられてしまいます。まあ、彼の名前が冠せられているから仕方ないのかもしれません。その分、彼の部下たちが霞んでしまうのが残念ですが。

あと、ネイについて、「樽職人の息子として生まれ、一兵卒として入隊し、元帥まで昇進した」わけですが、「木下藤吉郎みたい」と言った人がいました。ぼくはネイの日本版は悪源太義平だと確信していますが、こちらもマイナーですね。

本当は動物の話もしたかったのですが、ぼくはフランス語の動物関係の語彙が乏しいので、残念です。

2006年7月 2日 (日)

業界用語

今から11年前、学生時代のことですが、とある人物と文通していました。ナポレオン戦争についてでした。この人物とは1年もしないうちに喧嘩別れをしましたが、最初に手紙を受け取ったとき、こうなることは容易に予測できました。というのも、彼は一般常識が通用しない人間だったからです。自分の興味あることばかり話題にして、相手の言い分に聞く耳を持っていませんでした。

彼は騎兵が好きだと言っていました。その点はぼくも同じです。しかし、ぼくが軽騎兵が好きなのに対し、彼は重騎兵が好きでした。特に胸甲騎兵と擲弾騎兵が大好きだったのです。そして、手紙の内容は、とにかく重騎兵が好きだ、胸甲騎兵が好きだ、擲弾騎兵が好きだ、好きだ好きだ好きだ、ワー、ワー、ワー、とそればかり書いていました。これでは読む側としては面白くも何ともありません。ぼくも軽騎兵が好きだと書いたこともありますが、それに対して何の反応もないので、ばかばかしくなって書くのはやめました。また、彼は重騎兵が好きな理由として、中世の騎士が好きで、それを連想させる重騎兵が好き、特に擲弾騎兵が好きだとわめいていました。これには開いた口がふさがりませんでした。胸甲騎兵ならわかるけれど、擲弾騎兵は中世騎士とは関係ありません。そのことを指摘したら、揚げ足取りだと怒り出す始末で、手に負えませんでした。

彼はナポレオン戦争に興味を持つ以前は、ナチマニアで、軍装コレクターだったそうです。それで、何かというとその話をしていました。しかし、ぼくはその関係にはまったく興味がないので、そんな話をされても困ると言ったら、また怒り出すありさまです。それでなのですが、彼は業界用語がお好きなようで、最初によこした手紙に、WW-Ⅱだの武装SSだのSAだのという語を表記していました。何だこりゃ?です。自分が興味あることを人に伝えたいのであったら、一般の人には理解できない業界用語を使うなと言いたいです。「第二次世界大戦」とか「親衛隊」とか「突撃隊」とか言ってほしいものです。そういえば、彼は胸甲騎兵のことをキュイラシエと表記していました。これだったらぼくには通じますが、一般の人には通用しないでしょう。騎兵の一種であることがわかるような言い方をすべきです。なお、竜騎兵は「龍騎兵」と書いていました。

業界用語といえば、熱帯魚マニアの間ではたくさん使われています。例えばナマズのことをキャットと呼びます。ナマズの英名がcatfishだからです。ネコのように髭を生やした魚という意味です。フランス語のpoissonchatも同じ意味です(「逆撃シリーズ」の読者ならおわかりですよね)。しかし、一般の人にキャットと言ったらネコのことだと思うでしょう。大型のナマズをビッグキャットと総称しますが、ビッグキャットフィッシュにすべきです。big catとは大型のネコ(ライオンやトラなど)のことです。まあ、業界用語を使うのが楽しいという気持ちもわからなくはないのですが。

因みに、件のナチマニアはプロイセン贔屓らしく、ワーテルロー会戦を「ラ・ベル・アリアンス会戦」と呼んでいました。

2006年6月23日 (金)

望遠鏡

6月23日、ベルギー・フランス旅行の最終日です。といってもこの日はほとんど意味なく過ごしました。

午前10時ごろ、ホテルをチェックアウトし、リヨン駅のタクシー乗り場へ。RERだと車内が暑苦しいので、タクシーにしたわけです。運転手はヴェトナム人でした。日本人だと名乗ると、「近いですね」と言っていました。

シャルル・ドゴール空港へ到着すると、出発するまで時間が充分あったので、空港内で食事をしたりして時間をつぶしました。本当はこの日も観光できればよかったのですが、大きな荷物を抱えていたので、あまり動きまわらないことにしました。荷物そのものは失くしても困るものではなかったのですが、現地で買い漁ったワーテルロー本(買い物はこれらのみ)はどうしても持ち帰りたかったので。

午後6時ごろ、空港内で落雷が発生しました。このため、かなりの便が欠航になり、空港ではホテルへの宿泊の受け付けを開始しました。しかし、幸いにも成田への便は1時間ほど遅れただけで、予定通り運行されました。

そして、手荷物検査のとき、ぼくの持っていたボストンバックが金属探知に反応しました。見ると、画面に金属の筒が映し出されています。係官が「これは何ですか」と言っています。当然、怪しまれるわけです。望遠鏡です。札幌の玩具店で購入したもので、ナポレオン戦争で軍人が使用したものとそっくりなので、古戦場で使おうと思って持参しました。理由はもちろん、「軍人気分を味わいたいから」です。1996年にも持っていきました。そこで、「テレスコープ」と言って望遠鏡を取り出し、伸ばして見せたら係官も納得しました。それでも疑われたら、「これはナポレオン戦争で使用されたタイプのものだ」と言って、バッグの底からワーテルロー本を出し、「おれはワーテルロー会戦の研究者だ」と開き直ろうかと思っていましたが、その必要はありませんでした。

その後、売店でトランプとチョコレートを購入し、余った小銭をすべて、WWFの募金箱に投入しました。搭乗口で、居合わせたドミニカ人の女の子がなぜかサンドウィッチとコーラをくれました。

機内では、疲れたのでほとんど寝ていました。また、ナショナル・ジオグラフィック誌のフランス語版があったので、読んでみたら、ハイエナの特集がありました。成田に到着して外の空気を吸ったとき、すごい湿気を感じました。日本の夏はやはり蒸し暑いですね。

これで、「ワーテルロー古戦場旅行記」は終わりです。内容はかなり端折っているので、いずれホームページで1996年の旅行と併せて詳しく書きます。

毎日ブログを書くのは大変です。しばらく、休みます。あ、猛禽の記事も書かなくては。ホームページの方ではコンドル類を準備中です。

2006年6月22日 (木)

ボンジュールぼうや

6月22日はリュクサンブール公園へ出かけました。もちろん、ネイ元帥の立像を見るためです。柘植久慶さんの本によると、銃殺された場所だということで。ネイはナポレオンの部下の中で一番好きな人物なので(もちろん、映画と柘植本の影響です)、パリに行ったら是非、見たいと前から思っていました。

この公園は、やはりセーヌ河の南側にあります。当日は徒歩で行きました。途中でソルボンヌ大学のあたりを通りました。さらに南西の方角に目的地がありました。

早速、公園の南側へ行ったのですが、それらしきものはありません。立像はたくさんありましたが、古代ギリシアの神々とおぼしきものばかりでした。おかしいな、柘植さんの戦場の都・パリには写真も載っていたのに。仕方がないので諦めて引き返すことにしました。もう一つ行きたいところがあったので。

公園の北側まで戻ったとき、3歳ぐらいの男の子が父親に連れられてくるのに出会いました。その子がぼくを見て、「ボンジュール!」と言いながらかけよってきて、ちっちゃな手を差し出しました。そこで、握手しました。そのあと、男の子はぼくの手のひらを2回、ポンポンとたたき、「オールヴォワール」と言って別れました。ネイ元帥の立像を見られなかったのは残念ですが、いいことはあったなと思いました。

セーヌ河まで戻ると、ノートルダム大聖堂が目に入りました。とにかく、壮麗でした。今まで話にはきいていたものの、百聞は一見に如かず、です。橋を渡ってシテ島へ行き、間近でも見てみました。写真にも撮りました。

そのあと、アウステルリッツ駅の隣にある動物園と博物館を見てきました。動物園は小規模なものでしたが、種類は豊富でした。猛禽類はトキイロコンドルとハゲワシ4種とカラカラのみ、その他フクロウ類はワシミミズクやカラフトフクロウなどの大型種がいました。爬虫類や両生類を展示しているビヴァリウムもありました。フランス産の長毛のロバがいたのですが、最初は何の動物だかわからず、アルパカか?と一瞬思いました。博物館は、現生種の動物の骨格標本や絶滅動物の化石が展示されていました。マンモスの全身骨格がありましたが、これがアジアゾウよりも小さなもので、そばにあったメリディオナリスゾウの方がはるかに巨大でした。

帰国後、柘植さんの本を読み返してみたところ、ネイ元帥の立像はモンパルナス通りにあったなんて、口が裂けても言えません。

2006年6月21日 (水)

アンヴァリッド

やった! 累計アクセスが1000件に達しました。平均で1日に約22件なのですが、かなりむらがあり、例えば6月14日はわずか3件、6月18日は47件ありました。

今日はアンヴァリッドのお話です。6月21日、ホテルを出て、前日に場所を確認したアウステルリッツ駅でRERに乗り、アンヴァリッド駅で下車しました。地上に出て南下すると、建物がありました。入場料は7ユーロです。なお、この博物館は2003年から2008年まで工事を行なっており、このときは第一次世界大戦および古代・中世の展示が見られませんでした。2005年9月から2007年の間はナポレオン時代の展示が見られないので、旅行を検討中の方は注意してください。

まず、第二次世界大戦から見ましたが、ぼくはこのあたりについてはまったく知識はないので、何が何だかわかりませんでした。ただ、旧日本陸軍の少尉の軍服と日本刀が展示されていたのは覚えています。

次に入った展示室には、ナポレオン時代から20世紀初頭までの騎乗した騎兵の実物大の模型がずらっと並んでいました。ナポレオン時代のものは竜騎兵と胸甲騎兵と近衛猟騎兵がありました。それ以後の時代のものとしてはよく覚えていないのですが、アフリカ猟騎兵がサーベルを手首から刀緒でぶらさげたまま、拳銃を手にしていたのが印象的でした。また、19世紀終わりごろの竜騎兵はなぜが槍を持っていました。これは実質的には槍騎兵なのですが、名称はdragonです。同じ部屋のガラスケースには刀剣類、小銃、拳銃、銃剣などが豊富にありました。ナポレオン時代の前装式単発銃から後装式連発銃への変換が興味深かったです。

その次は、ルイ14世からナポレオン3世の時代のフランス軍の武器や軍服が展示されていました。これが半端な量ではありませんでした。最初はじっくり見ていたのですが、残念なことに、館内の冷房がききすぎていたせいか、途中で寒気を覚え、後半はざっと見るだけにしました。そのあとは食事して売店で本を1冊購入し、ナポレオンの棺を拝んできました。礼拝堂も見ましたが、イエス・キリストの処刑の絵があり、十字架に釘で打ちつけているシーンもあって、かなりグロかったです(そういえば函館のとある教会にも似たような絵があったのですが)。

博物館を出たあとはホテルまで徒歩で戻りました。セーヌ河の南岸に沿っていくと、アウステルリッツ駅に辿り着きました。

明日はリュクサンブール公園でのエピソードを。

2006年6月20日 (火)

タクシー乗り場

6月20日、ブリュッセルを出てパリへ向かいました。

ホテルを出たあと、ブリュッセル南駅へゆき、10時43分発のタリスに乗りました。座席は指定されていたのですが、しばらくすると車掌が入ってきて、フランス語で何か言いました。すると、乗客が一斉にわらわらと隣の車両に移動したので、ぼくもついていきました。その車両には冷房がついていました。どうやら、席が空いたので、2車両分の客を1車両にまとめて、省エネをしようというものでした。

11時59分にシャルル・ドゴール空港へ到着しました。下車すると、警官が乗客の手荷物をチェックしていました。麻薬の検査をしているらしく、犬ににおいを嗅がせていました。ぼくは病院で処方された薬を持参していたので、もし、犬が反応したらどうしようかと思いましたが、幸い、そのようなことは起こりませんでした。その後、RERに乗り換えて、次に宿泊するホテルの最寄り駅であるリヨン駅に着きました。

パリ市内はこれが始めてでした。ホテルまでどういう道順で行ったらよいものか、わかりません。それで、タクシー乗り場へ行きました。ホテルの住所が書いてあるクーポン券を取り出して、手にしていました。長蛇の列でしたが、車は頻繁にやって来ました。

そのとき、突然ぼくの次に並んでいた女性から、「すみません」と声をかけられました。「このホテル、ここからすごく近いです。タクシーに乗らなくても歩いていけますよ」。地元の人のようでしたが、流暢な日本語を話していました。「でも、今日ここに来たばかりなので、全然わからないので――」。「この住所はすぐ近くです」。その間にも車は次々と来て、ぼくの番になりました。そこで、「ありがとうございました」と礼を言ってタクシーに乗り込みました。途中、道順を覚えようと思ったのですが、何度も右折・左折を繰り返したので、結局わかりませんでした。

チェックインしたあと、ホテルの周囲を散歩してみました。すると、Gare d'Austerlitzの標識が。瞬間、「アウステルリッツの太陽だ!」と思いましたね。その矢印に沿って行ってみると、セーヌ河に架かるアウステルリッツ橋を越えたところにアウステルリッツ駅(フランス語だから「オーステルリツ」か)がありました。そこで、引き返して、ホテルの近くのピザ屋で食事しました。なお、パリもブリュッセルと同じく、午後10時を過ぎても明るかったです。

明日はアンヴァリッドです。

2006年6月19日 (月)

日本語メニューあります

引き続き、1年前の旅の話です。

6月19日、ワーテルローの古戦場ではイヴェントの続きが行なわれているようでしたが、この日はブリュッセル市内を観光することにしました。9年前、軍事博物館を見学したかったのですが、その日は月曜日だったために閉館だったのです。カタキ(何の?)は今回討つつもりでした。

軍事博物館へ行く途中、9年前に宿泊したホテルのそばを通りました。とても懐かしかったのですが、その建物はホテルとしては使用されてはいないようでした。

博物館まではかなり距離がありました。なかなか視界に現れないので、途中で出会った人に道をきいたりもしました。建物の前の広場では、バーベキューが行なわれていました。

やっと辿り着くと、まず戦車や戦闘機がたくさん展示されていました。こちらの分野はまったく疎いのでよくわかりませんでした。その次には19世紀から20世紀初頭にかけての武器が豊富にありました。銃や刀剣が多かったのですが、槍騎兵の槍が結構ありました。槍旗はベルギーの国旗を模した三色旗でした。ということは、1830年のベルギー独立後のものなので、この時代にも槍騎兵は重要な兵種だったのかもしれません。軍服やヘルメットも多数ありました。

さらに奥の展示室には、中世からルネッサンス期の武器や防具がありました。剣や弩や火縄銃の他、見事な甲冑類が多かったです。ハルバード(斧槍)の類も豊富でした。できればまる1日、ここでのんびりしていたいくらいです。

博物館を出ると、ブリュッセル中央駅の方まで行って、昼食をとることにしました。店を物色していると、ある店に「日本語メニューあります」と大書してありました。さっそく、店内に入ってみると、店主が「こんにちは。よくいらっしゃいました」とはっきりした日本語で言って、メニューを持ってきてくれました。ロブスターのスープとビールを注文しました。食事中、店主が近くを通りかかった日本人女性らしい2人連れに、「いらっしゃ~い」と声をかけていましたが、通り過ぎてゆきました。

夕方は、グラン・プラスのあたりでうろうろしていました。その後、ホテルへ戻って家族や友人に宛ててハガキを書き、ホテルの前のポストに投函しました。

明日はフランスへ入ります。

2006年6月18日 (日)

ワーテルロー190周年

1年前の今日はワーテルロー会戦の190周年記念です。なお、2年前の今日はAmazonに注文していたMark AdkinのThe Waterloo Companionが届いた日でした。

当日の午前8時ごろ、ブリュッセル南駅でブレーヌ・ラルー駅までの切符を購入しました。ところが時刻表によると、8時14分にシャルルロワ行きが来るはずなのに、来ません。仕方がないので、タクシーで古戦場に行くことにしました。ワーテルロー(街)のあたりで、キルト姿のスコットランド兵を見かけました。

古戦場に到着すると、まだイヴェントは始まっていませんでした。他の観光客もまばらでした。それで、ライオンの丘に登って暇をつぶしていました。しばらくすると、他の観光客が一斉に拍手をし、そのうちの1人がVive l'Empereur!と叫んだので、皇帝陛下か? と思ったら、黒い軍服を着たプロイセンの将軍が旗手を従えて登場しました。その将軍は白髪白髭だったので、ブリュッヒャー元帥だと思ったのですが、リュ―ツォウだと名乗っていました(騎兵旅団長のリューツォウ少将は、2日前にリニーで捕虜になったはずだが?)。

午後になって、イギリス軍の砲兵隊が砲撃の実演をはじめました。まる1時間も続きました。砲は人間が1人か2人で運べる小さなもので、実際に砲口から火薬を装填して発砲していました。砲声は映画「ワーテルロー」のように重いものではなく、どちらかというと「ゲティスバーク」のように鋭い感じでした。当時と同じ黒色火薬を使っているらしく、発砲後は白煙がたちこめていました。その他、イギリス軍の竜騎兵が2騎、疾走しており、また第95ライフル連隊も見かけました。

その後、フランス軍が出現しました。最初に軍楽隊が登場し、それから、いろいろな軍服を着た歩兵や騎兵が現れました。元帥帽をかぶった人が3人いましたが、皇帝はいませんでした。フランス軍は蝋人形館の裏の空き地に集まって、Vive l'Empereur!と叫びながらサーベルを抜いたり鞘に収めたりを繰り返していました。抜刀するときにはまず刀緒に手首を通していました。

そのあともさらにイヴェントは続く予定でしたが、残念ながらぼくは軽いめまいを感じたので、ブリュッセルに引き返すことにしました。実は以前、病気のためかなり強い薬を飲んでいたのですが、副作用で発作を起こした経験があるのです。こんなところでぶっ倒れたらたまりません。ホテルに戻ったときはほっとしました。イヴェントは結局、全部見ることはできませんでした。

2006年6月17日 (土)

両替と郵便局

去年の6月17日の話です。実はこの日はナポレオン戦争とは直接関係はありませんが、念のため。

前日、手持ちのユーロが切れたため、銀行を探して両替することにしました。まず、ホテルのフロントで近くの銀行を教えてもらいましたが、ここでは扱っていないとのことでした。それで結局、日本大使館に駆け込むことにしました。9年前も駆け込んだことがあるので、場所は知っていました。

最初に入ったとき、ベルギー人の男性職員が1人だけいました。英語で話しかけると、「日本語でいいですよ」と言うので、「日本円をユーロに両替したいのですが」ときくと、三菱が近くにあると教えてくれました。しかし、そのようなものはなかったので、再び駆け込むと、先ほどの男性はおらず、女性職員が数人いて、奥の部屋に日本人女性がいるのできいてくれとのこと。きいてみると、大使館の隣の銀行であっさりと両替できました。

次は郵便局を探すことにしました。前日、絵ハガキを購入したので、家族や友人に出そうと思い、切手を買うつもりでした。手持ちの地図によると、ブリュッセル中央駅の付近にあることはあるのですが、行ってみると、そのあたりは迷路のように入り組んでいて、道に迷うばかりでした。一度、郵便車(もちろん〒マークはありません)らしきものを見つけたので、あとを追いかけてみましたが、無駄でした。仕方がないので諦めて、タクシーでホテルまで戻りました。何しろ道が石畳ときているので、猛烈に疲労しており、歩くのがしんどかったのです。

ホテルにもどって、フロントで「日本にハガキを出したいのですが、切手はありますか」と言ったら、ありました! 1枚0.65ユーロでした。結局、この日はやたらと歩き回るだけでした。1815年の同日のフランス軍と連合軍みたいに。

明日はいよいよ、ワーテルロー会戦190周年です。

2006年6月16日 (金)

9年ぶりの古戦場

昨日に引き続き、1年前の旅行を書きます。

6月16日、つまりリニーとカトル・ブラでの前哨戦があった日ですが、9年ぶりに古戦場へ行ってみました。9年前はブリュッセル中央駅からシャルルロワ行きの電車で16分だったのですが、今回はブリュッセル南駅から同じ路線で10分でした。ブレーヌ・ラルー駅で下車し、10分ほど歩きました。すごく懐かしい風景でした。

古戦場の建物は9年前と変わっていませんでした。ただ、当時スパゲッティを食べたLe Hussardという店が消えていました。まず、Visitors' Centreのギフトショップを物色しました。ワーテルロー本を3冊購入したのですが、店内の書棚にギッシリ並んだナポレオニック本(大半は英語でフランス語も若干あり、ドイツ語とオランダ語が僅か)を見てため息が出ました。こういう本が日本でも出版されればいいのに! そして、9年前と同じく、ライオンの丘に登り、映画を見て、蝋人形館とパノラマ館を見学しました。そのあと、ギフトショップで緑色の軍服を着た何人かの兵隊と出会いました。2日後のイヴェントに参加するようです。酒保係らしい女性もいました。「ザクセンだ」と言っていました。銃は持たず、腰にサーブル・ブリケ(歩兵用の短い刀)と銃剣を2本差しにしていました。1人だけ、マムルークの三日月刀のようなものを吊っていました。

それから、シャルルロワ・ブリュッセル街道を北上し、ワーテルロー(街の名前)のウェリントン博物館へ向かいました。普通に歩くと1時間ほどかかるのですが、40分で踏破しました。受付の女性は親切にも音声ガイド(日本語もあり)の使い方を教えてくれました。それによると、入り口に展示してある銃弾が貫通した胸甲について、これはもともと銃弾から身を守るものだが、砲弾には効果がなかったとか、アックスブリッジ伯爵の義足について、当時最高の技術で製作されたもので、表面のカヴァーの一部を外して、内部のからくりがわかるように展示しているということでした。面白かったのは、槍騎兵を「やりきへい」と発音していたことです。確かに、一般の観光客にソーキヘーと説明しても何のことだかわかりませんからね。また、出刃包丁のおばけ(イギリス軍の1796年式の重騎兵用の直刀)と再会したのですが、どうも前に見たときのイメージが強烈だったせいか、頭の中で膨れ上がっていたような気がします。どっちにしろ、こんなもので叩っ斬られたらひとたまりもないのですが。

その後、再び古戦場にもどりました。本当はル・カイユーのナポレオン博物館にも行きたかったのですが、ぶっ通しで歩き続けて足の裏のまめがつぶれたため、結局はオアン街道より南へは行きませんでした。Visitors' Centreには青い軍服姿で着剣した小銃を持ったフランス軍の歩兵が1人いて、観光客に記念写真を撮らせていました。ここで、手持ちのユーロが切れたので、ホテルに戻るしかありませんでした。

明日は、ブリュッセル市内での顛末を。

2006年6月15日 (木)

午後10時のブリュッセル

ワーテルロー191周年の時期になりました。今年は1815年と曜日が同じですね。6月18日は日曜日になります。そういうわけで、去年の古戦場探訪のことを書こうと思います。この話はいずれホームページで「ワーテルロー古戦場旅行記」としてまとめようかと思っていますが、これがいつになるのかわからないので(なるべく今年中にやるつもりですが)、まずはメモ程度に触れることにします。

ワーテルローの古戦場では5年置きにイヴェントが行なわれています。これは前から見たいと思っていました。しかし、1995年には学業があり、2000年には病気のため行くことができませんでした。幸い、2005年にはぼくはフリーなので時期的にも問題はなく、病気もだいぶ快復していたので、行くことにしました。というより、今、行かなければ、次はいつ行けるかわからなかったので、行くしかないと決意しました。

古戦場へ行くのはこれで2度目です。前回は学生時代の1996年で、夏休みのことです。このときはサベナ航空で直接ブリュッセルまで行きました。しかし、2005年には直行便がなかったので、エールフランスでパリへ飛び、鉄道でベルギーへ入ることにしました。また、古戦場を見学したあとはパリも観光しようと思いました。

6月15日12時5分に成田空港を出発、12時間の空の旅のあと、午後5時30分にシャルル・ドゴール空港へ到着しました。機内では、隣の座席のサングラスをかけた女性と話をしたり、ヴィデオ(フランス語のアニメ)を見ていたので、退屈しませんでした。

入国審査のあと、午後7時18分に空港の駅からタリスでブリュッセル南駅に向かいました。このとき、座席が向かい合った日本人の若者(大学生だと思っていたら、高校生だった)といろいろ話をしていました。午後8時36分にブリュッセルに到着しました。

下車したとき、思わず目を見張りました。真昼のように明るいのです。ベルギーは緯度が高いから、6月には日没後も薄暮が長引くことは本で読んだことがあります。が、これほどとは思いませんでした。以前、札幌に住んでいたとき、午後8時を過ぎても地平線が明るいのに驚きましたが、そんなものではありませんでした。

駅でタクシーを拾ってホテルへ行きました。運転手はなかなか親切な人でした。ホテルでチェックインしたあと、部屋でひと休みし、そのあと付近を散歩してみました。このときは午後10時でしたが、相変わらず真昼のようでした。ワーテルロー会戦で「夜の訪れか、ブリュッヒャーの来着かだ」と言ったウェリントンの心境が恐ろしいほど実感できました。そのあと、疲れて眠ってしまったので、結局のところ何時まで薄暮が続いたのか、よくわかりませんでした。

明日は古戦場に突入します。

2006年5月20日 (土)

ナポレオン エジプト誌

昨日、江戸東京博物館で開催されているナポレオンとヴェルサイユ展に行ってきました。平日を狙ったせいか、あまり混んではいませんでした。

展示物については、ぼくは美術関係に疎いので、御容赦を。グロの「アルコレ橋のボナパルト」やダヴィッドの「サン-ベルナール峠を越えるボナパルト」など、有名な絵画はたくさんありました。ネイ元帥とダヴー元帥の胸像があり、ファンとしては嬉しかったです。武器にはバラスの狩猟銃(2銃身の2連発銃で、フリントロックと引き金も二つ)とヴィクトール将軍のサーベル(刀身がオスマン・トルコのキリジに似ている)がありました。内容は「第1章 革命」から「第11章 ナポレオンの最後 そして伝説」までの11章構成でした。

一通り見たあと、出口に置いてあった何種類かのチラシを持ち帰ったのですが、その中にエジプト誌のDVD-ROMについてのものがありました。1798年のエジプト遠征時の学術調査の結果を編纂したもの(近畿大学所蔵)を1枚のディスクに収録したそうですが、定価が\294,000です! とても手が出るものではありません。図版894点、解説7300頁をデジタル化したものなので、それなりの価値はあるのでしょうし、研究者の方なら飛びつくと思うのですが、ぼくのようなアマチュアには文字通り高値の花なのです。

内容は「古代篇」「現代篇」「博物篇」「地図篇」に分かれているそうですが、もともと動物が好きなぼくとしては「博物篇」には食指が動きます。ぼくは以前、ポリプテルスという熱帯魚を飼っていました。この魚は古代魚と呼ばれ、いわゆる生きた化石なのですが、そのせいか丈夫で長生きします。ぼくが飼っていたものは12年10か月生きていましたが、20年以上飼い続けている人もいます。この魚が学会で知られるようになったのは1802年のことで、エジプト遠征に同行したパリ国立自然史博物館のジョフロワ・サン-ティレールによって記載されました。エジプト誌の「博物篇」にはポリプテルスの原記載図があるはずなのです。元熱帯魚ファンとしては是非見たいものです。

ポリプテルスに限ったことではありませんが、他の動物についても興味深い内容が記載されているのは想像に難くありません。アマチュアにも開かれた世界であることを願わずにはいられません。

2006年5月15日 (月)

柘植久慶さんに書いてほしい本

前回に引き続き、ナポレオニック関連の記事を書きます(実はぼくは「ナポレオニック」なる言葉にあまり馴染みがないのです。普段の会話では「ナポレオン戦争」で通っています。よく考えたら11年前のカナダ旅行以来、英語で話す機会がなかったりします)。

ぼくは作家の柘植久慶さんのファンです。といっても柘植本なら何でもかんでも手を出しているわけではなく、主に戦史関係です。最初に読んだのがナポレオンの戦場で、高校を卒業して間もないころに購入し、浪人時代は愛読書でした。そのためにとんでもない目に遭ったことがあります。浪人時代、ワーテルロー会戦についてちょっとした小説を書いていたのですが、ネイ元帥の騎兵突撃の際、「連合軍100歩後退」と「馬防壕」と「連合軍の方陣が7個潰滅」のことをそっくりそのまま書いてしまったのです(ブラウンシュヴァイク公爵の戦死については難を免れました)。映画「ワーテルロー」の影響もありましたが。

そういうこともあったのですが、柘植さんの文体は読みやすく、軍事関係のイロハが理解できました。それまで動物の道を突っ走っていたぼくにとっての格好の入門書だったのです。また、ぼくがナポレオン戦争で活躍した軍人で一番好きな人は、ナポレオンの部下ではネイ、ナポレオンの敵ではウェリントンです。これも映画の影響が大きいのですが、名将たちの決断で両者が紹介されていたこともあります。とりわけ他の書籍では批判されがちなネイを評価していたのが新鮮でした。小説では大学卒業後に「逆撃シリーズ」を読みました。あくまでもフィクションですが、登場人物の個性(柘植本なりの)が面白く、暇なときに読み流すものとしては最適でした。

今回は柘植さんに今後、書いてほしいテーマに触れます。

その1.「ウェリントン公爵」(仮タイトル)

PHP文庫のネルソン提督の続編です。この本ではネルソンとウェリントンの一度だけの会見があり、ネルソンがトラファルガル海戦で戦死したあと、ウェリントンへのバトンタッチを示唆するようなことが書かれているので、続編が出るのではないかと秘かに期待していたのです。アウステルリッツ会戦以後、ワーテルローに至るまでの両者の動きを追うものです。特に半島戦争でのウェリントンの活躍を描いてほしいです。このような本としては、ジョン・ストローソンの公爵と皇帝がありますが、是非とも柘植さんの筆力(逆撃シリーズとはまた異なる)に期待したいところです。

その2.「ナポレオン戦争名将伝」(仮タイトル)

同じくPHP文庫の日露戦争名将伝のナポレオン戦争版です。ナポレオンの部下と敵側の双方の将星たちの人となりを紹介するものです。最近でこそ日本でもこのような本が出てくるようになりましたが、ぼくが駆け出しのころは、ナポレオン1人が主人公で、他は脇役扱いされている嫌いがあったので、歯痒く思っていたものです。柘植さんに期待したいところは、いわゆる名将だけでなく、凡将や愚将と呼ばれた人をどうやってこき下ろすかです。書かれた当人にとっては気の毒ですが、柘植さんのこき下ろし方は読者としては爽快感を味わうことができます。日露戦争を描いた手法でナポレオン戦争も描いてほしいです。

関係ないけれど、今日はぼくの誕生日です。1週間早かったらアッテンボローさんと同じで、10日早かったらナポレオンの没後ちょうど150年目でした。

2006年5月13日 (土)

La Grande Armee

また、更新をサボりました。この際、宣言します。「日記」とは言葉のアヤで、形式にとらわれずに書いていこうと思います。それに今は始めたばかりだから話題はありますが、いずれネタがつきてしまうのは時間の問題です。

前の記事にコメントしたように、今回はナポレオニックについて触れます。それに、せっかくシェへラザードさんのブログ大陸軍千一夜にリンクしていただいたわけですから。

ここで、ナポレオニック・ファンの方に質問があります。皆さんはもし、一般の人にナポレオン戦争の魅力について語るとしたら、どんなことをお話しますか? ここでいう一般人とは、ナポレオンという人物の存在について知っているという程度にします。

ぼくは数年前からとあるフランス語学校に通っています。フランス語は大学の第二外国語で選択したのですが、学部移行してからはまったくやっていなかったので、すっかり忘れてしまい、一からやり直すことにしました。今までいくつかのクラスを転々としてきましたが、この歳になるとなかなか身に着かないというのが現状です。今年の1~3月に所属していた「初級会話」のクラスでは、毎週誰かがそれぞれ自分の好きなテーマをフランス語で話すということをやっており、3回目にぼくの番になりました。そこで、La Grande Armeeと題して次の文章を作成しました。和訳はあえてつけませんが、フランス語を何年学んでもさっぱりモノにならないぼくの作文なので、単純そのものです(アクサン・テギュ、アクサン・グラーヴ、トレマは今の環境では表記できませんでした)。

L'armee de Napoleon s'appelle la Grande Armee. Elle a une infanterie, une cavalerie et une artillerie.

L'infanterie comporte l'infanterie de ligne et l'infanterie legere. Elle est armee du fusil, de la baionnette et du sabre briquet. L'officier d'infanterie est arme de l'epee et du pistolet.

La cavalerie comporte le cuirassier, le dragon, l'hussard et le lancier. Le cuirassier est une cavalerie lourde. Il a porte une cuirasse et un casque. Il est arme du sabre droit, du mousqueton et du pistolet. Le dragon est une cavalerie moyenne. Il est arme du sabre droit, du fusil de dragon, de la baionnette et du pistolet. L'hussard est une cavalerie legere. Il est arme du sabre courbe, du mousqueton et du pistolet. Le lancier est une cavalerie legere, aussi. Il est arme de la lance, du sabre courbe et du pistolet. La lance est plus avantage que le sabre.

L'artillerie comporte l'artillerie a pied et l'artillerie a cheval. Elle est armee du canon et de l'obusier.

で、話し終えたあと、他の学生さんから質問が矢継ぎ早にきました。言葉だけではなかなか理解してもらえなかったので、黒板にイラストを描いて説明する羽目になりました。担任の講師(フランス人)がbaionnetteの意味を御存知なかったようなので、まず、銃剣着きの小銃の絵を描きました(先生、baionnetteって、お国のバイヨンヌ地方に因むのではありませんか~)。他にも、ドルマンとヘルメットを図示し、sabreとepeeの違いを解説するために刃の断面図まで描いたのです。

一番多かった質問は、なぜ騎兵隊にはいろいろな種類があるのかというものでした。旧日本軍には単に「騎兵」しか存在しなかったわけですからね。槍騎兵だけはわかってもらえました(当たり前か)。特に多かったのは竜騎兵とは何かということでした。これはさすがに一口では説明できませんでした。敢えて言えば「歩兵戦闘が可能な騎兵」となるのでしょうが、時代によっても異なるし、ナポレオン戦争でもフランス軍のドラゴンとイギリス軍のドラグーンは違っています。翌週、Philip J. HaythornthwaiteのUniforms of Waterlooを持参してイラストを見せたら、納得してもらえたようでした。

実物(?)があると便利です。去年の6月、パリのアンヴァリッドの軍事博物館を見学してきたのですが、ナポレオン時代から20世紀初頭までの実物大の騎兵の人形がずらりと並んでいました。ナポレオン戦争のものは、竜騎兵と胸甲騎兵と近衛猟騎兵がありました。ここで偶然、初老の日本人の御夫婦と居合わせたのですが、こんな質問を受けました。「このドラゴンって何ですか?」「日本語に訳すと竜騎兵です。必要に応じて下馬して歩兵としても戦えるように訓練された騎兵のことです。この銃を見てください。長いでしょう? 普通、騎兵は馬上で操作しやすいように銃身の短い銃を装備していますが、竜騎兵は歩兵のように長い銃を持っていました」マスケットだのカービンだのといった用語は使いませんでした。かえってややこしくなるからです。

一般の人からこのような質問を受けると、初心に戻れて懐かしくなります。ぼく自身、ナポレオン戦争の騎兵隊の種類を理解するのに何年もかかりましたので。胸甲騎兵と槍騎兵はわかりやすかったのですが、竜騎兵や猟騎兵はどういう騎兵なのか、なかなかわかりませんでした。今でも、「槍騎兵って何で軽騎兵なんだ? 胸甲騎兵に槍を持たせたら鬼に金棒なのに」という疑問はありますが。

なお、その「初級会話」のクラスでは、日本の歴史や文化、御自分の職業についてフランス語で説明する学生さんが多かったです。

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