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2009年3月28日 (土)

火傷

今朝のことですが、予想だにしていなかったトラブルがありました。

朝食の際、前日の夕食の残りであるカレーを母がガスレンジで温めてくれたのですが、その際、容器をガスレンジの近くに置いており、過熱していました。母はそれに触れたらしく、「熱いよ」と言っていたのですが、ぼくは不注意にも、その皿を左手でまともに掴んで持ち上げ、あまりの熱さにあわてて離しました。

左手の親指と中指が見事に火傷しました。すぐに水道水で冷やしました。ところが水から手を離すと、ひりひりと患部が痛みました。それで、氷水に指を入れっ放しにしました。しかし、氷が溶けて水が温むと、また痛くなりました。

次に氷を直接患部に当てました。しかし、すぐに溶けていってしまいます。冷凍庫から何個もの氷を次々に出しました。患部を冷やしていないと、猛烈な痛みに襲われました。

仕方がないので、病院に行くことにしました。最寄りの地下鉄駅のそばに、皮膚科医院と総合病院がありました。

そこで、外出することにしたのですが、幹部から氷を離すと、痛くてやりきれないので、アイスノンを左手で掴んだまま出かけました。

午前9時ごろ、まずは皮膚科医院に着きました。しかしながら、午前10時に開院ということだったので、総合病院へ行きました。

受付で保険証を出し、状況を説明すると、17番と書かれた部屋の前で待つようにと言われました。救急治療室だということでした。しかしながら、なかなか呼び出されませんでした。アイスノンはどんどん軟らかくなり、幹部もヒリヒリ痛んできました。仕方がないので、先ほどの受付に行って、我慢ができないので何とかしてくれと交渉したら、すぐに診てもらえることになりました。

担当医師に状況を説明すると、「痛いという感覚があるのなら、大丈夫だ」と言われました。そして、看護師長が患部を消毒し、薬をつけ、ガーゼを当て、包帯しました。指が焼けつくように痛かったのですが、ナポレオン戦争での負傷兵は麻酔無しで外科手術を受けたことを思い出し、歯を喰いしばって耐えました。しばらく患部が焼けついていましたが、治療を受けたことの安心感で、何とか凌ぎました。

そのあと、会計を済ませ、処方箋をもらって、隣接している薬局に行きました。そこで、自分の病歴について記入し、薬を受け取って帰宅しました。

自宅で処方された痛み止めを飲んだら、少し落ち着きました。その日はずっと寝て過ごし、バイトも休みました。

母も軽く火傷したそうですが、平気だと言っていました。そうでもないと専業主婦は務まらないそうです。

2009年3月27日 (金)

排水ポンプ

数日前のことですが、熱帯魚の水槽の水換えに使っているポンプ(灯油などを手動で汲み出すのと似たようなタイプ)が故障しました。要するに、老朽化して、どこかに亀裂でも入り、空気が漏れるようになったわけです。このようなプラスティック製品は、長年使用していれば、いつかは使えなくなるわけですから、新しいものを買わなければなりません。本日、行きつけの熱帯魚店に買いに行きました。

このポンプをいつから使っているのか、はっきりした記憶はありません。今の家に住んでからのような気もしますし、函館に住んでいたころ、近くのホームセンターで購入したような気もします。いずれにせよ、10年近く、もしくはそれ以上使い込んだものであることには間違いありません。

熱帯魚店に行って、店主に理由を話すと、「消耗品だからね」と言って、新品を出してくれました。「まけとくからね」と、300円でした。ここのところ、熱帯魚店にあまり出入りすることはなく、器具の値段などにも疎いわけですが、このようなときくらいしか買い物をしないのに、いつも快く応対してくれる店主に感謝です。

最近はいろいろな熱帯魚店をハシゴすることもなく、熱帯魚関係の雑誌も購読していないので、どんな新着魚が入荷して、どのくらいの価格で売買されているのか、まったくと言っていいほど情報に疎いわけですが、このような機会に見ておこうと思い、買い物のあと、店内の水槽を物色していました。といっても、いつも通り、昔から知っている魚がいるか、あるいはまったく見たことのない新種や新品種がいるか…だけのことですが。ただし、昔は高価で手が出なかった魚が驚くほど値下がりしていることはしばしばです。熱帯魚業界の流れから立ち遅れてしまった人間としては、かなりショックだったりします。

店内にはかなり大型のパイクシクリッドがいました。値札がなかったので、価格は知りませんが、高価な魚だと思われます。もっとも、今の状況では買っても入れ場所がないので、購入は無理ですが。

行きつけ店の店主はぼくより少し年上の人で、父親の代から店を経営しているのですが、気さくな割りにはプロ意識が充分なようで、飼育に関する質問なら、大抵はドンピシャリで答えてくれます。ある日、年輩の夫婦が薬品について質問していましたが、相手がおそらく初心者で、何もわからない人で、しかもかなり横柄な態度で質問していたのに、嫌な顔もせず、かと言って、売らんかな根性も出さずに、丁寧に、しかも説得力のある応対をしていました。熱帯魚業界にも不況の嵐が吹き荒れ、昔ながらの老舗が随分と店仕舞いしてしまい、職人気質のある名物店主も少なくなってしまいましたが、彼のような人がいる限り、この業界にも未来があるのではと思います。

なお、セパレーター用のキスゴム(4個で200円)も老朽化してしまったので、近日中に購入する予定です。

2009年3月25日 (水)

チビタのお友達

一昨年に先代の飼いネコ・ネオタが他界して早1年5か月になります。ときどきですが、夢に出てくることがあります。幸いなことに、夢をみたあと、目が覚めてから、ネオタが既にいないという現実を突きつけられて、落ち込むということはありませんでした。ペットロス症候群とは無縁なようです。小・中学生時代にはそのような夢を見て、落ち込んだこともしばしばでしたが。

その代わり、今の飼いネコ・チビタの夢を見てしまいました。それがかなり悲惨な夢でした。

今日は久々にゆっくり睡眠を摂りました。そして、夢の中でチビタが病気になり、動物診療所へ連れて行ったのですが、診察の結果、症状がおもわしくなく、治療しても無駄だから、諦めるように言われたのです。落ち込んだのですが、目が覚めたとき、それが夢だと気づいてホッとしました。こういうパターンの夢はよく見ます。

目が覚めたのは午前11時ごろでした。バイトの時間帯の関係で、昼夜ひっくり返った生活をしているのですが、先月からの慢性不眠症のせいか、“春眠暁を覚えず”、つまり、眠くて起きられない、ということはありませんでした。午後1時から、イラスト教室があったので、12時半には家を出ました。1月から手掛けている指定教材のハヤブサ画(原画はグールド)が仕上がりました。次回からは題材を選べるということになりました。取りあえず、Finch-DaviesのThe Birds of Prey of Southern Africaから探してみようかと思っています。

ところで、チビタと庭に出入りしている「ひよひよ一味」との友情は終わったと思っていました。というよりも、チビタの相次ぐ脱走事件で懲りたので、我が家では家を出入りするときに、細心の注意を払うようになったからです。そういうわけで、チビタが「ひよひよ一味」と接する機会もなくなりました。

ただ、チビタは浴室の窓辺に張りついて、庭を眺めていることが多くなりました。庭に野良ネコたちがいるときなど、特にその傾向が強いようです。

母から聞いたのですが、今日はチビタが浴室の網戸越しに「ひよひよ一味」の茶虎のネコと見つめあっていたそうです。「ひよひよ一味」の野良ネコたちは、母が庭仕事をしていると、どこからともなく現れて見物していることが多くなりました。チビタが彼らを「お友達」と認識しているかどうかはわかりません。物の本によると、単なるなわばり意識だということなのですが、どこまで本当なのか疑問です。

2009年3月18日 (水)

チビタ4400g

本日、またチビタを動物診療所へ連れていきました。頬に傷ができ、かさぶたで覆われているものの、なかなか治らず、顎の辺りも黒く汚れています。加えて、眼やにも出ているし、8月からずっとですが、喉の皮膚にいまだに毛が生えていないもの気になります。これら4点を診てもらうことにしました。

毎回そうですが、チビタを連れ出すときは格闘です。母と二人がかりでチビタをバッグに入れるのですが、そのままだとなかなか入らないので、毛布に包んでいます。それもまた一苦労なので、母は毛布を縫い合わせて袋を作り、その中に包んでからバッグに入れるという方法を編み出しました。今回はスムーズにいきました。

午前10時に動物診療所へつきました。先客として、イヌを連れたお客さんが数人来ていました。ミニチュアダックスフントを2頭連れた女性がいたし、ヨークシャーテリアの老犬らしいのを膝に乗せている年輩の女性もいました。ペット用に矮小化されたイヌは弱々しそうでした。待合室で、バッグを開けましたが、チビタは毛布の中に潜り込んでいて、出てきませんでした。

チビタの番になっても、バッグから出そうとしたとき、チビタは毛布の中に頭を突っ込んでいました。やっとバッグから出して、体重を計測しました。4400gでした。

診察してもらうと、頬の傷は脱走したときに他のネコからひっかかれたもののようでした。カビに寄生されている可能性もあるので、頬の毛を鋏で切られて治療してもらっていました。顎の汚れは、アクネ菌によるもので、にきびみたいなものだということでした。喉の皮膚は、細菌に侵されている恐れはなく、眼やにも問題なしでした。

頬の傷と顎の汚れについての薬を処方してもらいました。診察室ではチビタはおとなしくバッグに入りました。

家に戻ると、チビタは緊張していたせいか、かなり長時間、寝ていました。ヒョウなど、ネコ科の肉食獣は狩りの際に緊張するので、その分、睡眠を摂るようです。

2009年3月14日 (土)

ネオタとチビタ

相変わらず不眠症に悩まされていますが、医師の処方してくれた睡眠導入剤のおかげで、ぐっすりではないものの、何とか眠れるようになっています。少なくとも、疲労が重なって体が動かなくなる、ということはなくなりました。

どうも、夕方に出勤して、深夜に帰宅するという生活パターンがまずいようです。夜間、労働するため、神経が冴えてしまい、家に帰ってもしばらく興奮状態が続いているわけです。さらに、まる12年間の闘病生活で薬漬けだったのが、急に薬の量が減ったため、バランスを崩したようです。去年の夏ごろからそういうことがありました。普段、体験しないことをすると、興奮して何日も眠れなくなります。7月にはまる4日間眠れず、ぶっ倒れたことがありました。モンタナ州へ行ったときも、1日の平均睡眠時間が1時間足らずで、帰国の前日に、ようやくまとまって眠れたくらいです。帰国途中でぶっ倒れたら洒落にはなりませんからね。

昨日もバイトに出かけ、深夜に帰宅したので、やはり眠れませんでした。しかしながら、今日もバイトがあるので、寝ておかないとまずいので、朝方、少しばかり睡眠を摂りました。いつもの通り、寝たのだか寝ていないのだかはっきりしない状態でしたが、夢らしいものを見たので、一応は眠れたのでしょう。その夢の内容について書いておきます。

夢の中で、いつも猛禽関係でお世話になっている、猛禽の部屋の管理人の風さんにお会いしました。残念ながら、どういう状況だったのか、具体的には覚えていないのですが、風さんとはメールや掲示板やブログでは遣り取りしたり、イヌワシの写真集を贈っていただいたこともありますが、直接お会いしたことはないので、不思議です。なお、以前、このブログの常連さんであるホワイトファングさんにお会いした夢も見ました。ホワイトファングさんともネット上の遣り取りだけで、直接お会いしたことはありません。もっとも住所を知っているので、手紙を出したことはありますし、お菓子を贈っていただいたこともあります。夢の中でお会いしたホワイトファングさんは、中学時代の同級生に似ていました。おそらく、印象がダブったのでしょう。

そしてさらに、一昨年に他界した先代の飼いネコであるネオタの夢も見ました。ネオタの夢はときどき見ますが、今回のは今の飼いネコであるチビタと対面させたというものです。この状況も詳しく覚えていないのですが、外出中に道端にて、この世にいないはずのネオタを見つけ、家に連れ帰りました。家にはチビタがいて、叔父と甥の対面(?)がめでたく叶ったわけです。実際には、ネオタが他界したのは2007年10月で、チビタが生まれたのは2008年5月ごろと推測されるので、両者が同時に存在し得るはずはないのですが。チビタも生後10か月になり、4kgを超えましたが、やはり7kgあったネオタのほうがずっと大きかったです。

そういうわけで、ときどき変な夢を見ますが(そもそも夢とは現実離れしたものですが)、目が覚めたときには普段のぼくに戻っているので、支障はありません。今日もバイトに出かけました。

[追記]今日は去年の1月に他界した野良ネコの「くろちゃん」の夢を見ました。前の晩、一睡もできず、今日は夕方からバイトなので、午後2~4時の間、睡眠を摂りました。夢の中で、家の裏口に2頭のネコが来ていました。1頭は「だいちゃん」で、もう1頭はそれよりも小さなネコでした。そのネコが、ぼくに向かって人間の言葉で話しかけ、礼を言うのです。目が覚めたとき、それは「くろちゃん」だったことに気づきました。「くろちゃん」の夢を見たのは初めてでした。(4月21日)

2009年3月 8日 (日)

男の友情

相変わらず、眠れない夜が続いています。昨夜から今朝にかけても一睡もできず、ずっと起きていました。午前8時ごろ、普段は朝食の時間ですが、食欲がなかったので、友人に宛てて手紙を2通書いていました。そして9時、書き終えたときになって、母からまたチビタが庭に脱走したと言われました。父はそのとき家にいたのですが、捕まえる手段がなく、今日は下の妹の家に出かける予定があったので、チビタのことを気にしつつ、出かけたそうです。母はぼくに声をかけようと思ったのですが、ぼくが何かやっていたので、声をかけなかったということでした。

台所の裏口の戸は開けっ放しでした。母の話によると、チビタはそこから庭に出たようです。何しろ、すばしこくて捕まえられないので、自分で戻ってくるだろうと思って、開けたままにしていたわけです。

母の話によると、チビタは庭に出入りしている、「ひよ弟」とその仲間の茶虎の野良ネコ数頭、つまり「ひよひよ一味」と遊びたかったようです。ところが、彼らはチビタに対して好意的ではなかったようで、敬遠していたとのことでした。チビタは剛肝なところがあり、かまわずに近づいたのですが、「ひよひよ一味」は冷たい視線を浴びせていたそうです。さらにチビタが慕っていた「ひよ弟」までが、チビタを追い払うような仕草をしていました。「ひよ弟」も生後1年になり、野良ネコ生活が板についてきたので、ネコ社会から離れていたチビタの行動は、いわゆるKY(空気読めない)なのでしょう。何でも、茶虎の1頭に近づいて、鼻をくっつけようとして威嚇されていたそうです。先代のネオタも、横浜ではアパート暮らしだったため、11歳まで他のネコとの接触は皆無でした。東京に引っ越してから、庭の野良ネコや放し飼いのネコと接触するようになったのですが、やはりKY的な行動に出て、攻撃されたり敬遠されたりしていました。ネコ社会のルールを身につけなかったからです。

チビタは塀を乗り越えて、隣の家の庭に入ったそうです。その家でも野良ネコたちを可愛がっているので、問題はありませんでしたが、「普段見ない、白黒の子が来ている」と言われたそうです。チビタはときどき我が家の庭に戻って来ていましたが、家に入る気はなく、また出て行ったとのことでした。

ぼくが庭に出たとき、温水タンクの上に茶虎が1頭いました。庭の隅にもう1頭おり、塀の上に「ひよ弟」がいましたが、彼らはすぐに隣の家に移動してしまいました。チビタはどこにいったものやらわかりませんでした。

しばらく待つと、チビタが姿を現しました。ただ、すばしこくて捕まえられないので、ぼくのそばに来るまで待つことにしました。チビタは庭をうろつきまわり、庭の隅の木戸に手をかけていたりしましたが、その行動はもはや、野良ネコたちと違ってのんびりしたものでした。しばらくすると、縁の下に入りました。そこで、いったん家に戻って、普段チビタの玩具にしている紐のついた袋を持ち出し、縁の下の前でぶらさげると、チビタが出てきてじゃれついたので、難なく捕まえました。

チビタは鼻に擦り傷ができていましたが、いつもの天真爛漫さは変わりませんでした。昼ごろ、父が妹宅から電話をかけてきたので、無事に捕まえたことを母が報告しました。

チビタの擦り傷は、他のネコから引っかかれたものかもしれません。母は何しろ過保護な性分なので、心配していたようです。ともあれ、チビタと「ひよ弟」の8か月間にわたった“男の友情”は、ここでピリオドを打ったわけです。

チビタは人間に例えると、いがぐり頭で、下駄をつっかけ、竹の棒を振り回してチャンバラをやっていたような、昔風の腕白坊主なのかもしれません。本当は、「ひよひよ一味」とも思いきり遊びたい年ごろなのでしょう。擦り傷くらいこしらえて帰ってきても、心配する必要はないと思います。交通事故の危険がなかったら、そういう飼い方をするのが健全なのはわかっています。家の中に閉じ込め、現代のひ弱なファミコン少年として育てるのが果たして正解なのか、父親(?)として頭が痛いところです。

それにしても、「ひよ弟」いや「ひよひよ兄ちゃん」には感嘆しました。去年の5月、母親に連れられて我が家の庭に住み着いたときは毛糸の塊りのようで頼りなかったのですが、チビタに示した面倒見の良さというか、兄貴っぷりには頭が下がります。ぼくが子どものころはまだガキ大将という人種がいました。彼らは現代の子ども社会からは絶滅してしまったようですが、ネコの世界にはしっかり生き残っていたといったら擬人化しすぎでしょうか。

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