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2008年9月30日 (火)

シアトル空港

8泊9日のアメリカ旅行も今日でいよいよ最終日です。この1週間、アドレナリンが出まくっていたせいか、1週間が1年くらいに感じられたものですが、あっという間のようでもありました。

昨日の夕方に寝る前に飲んだ睡眠剤が効いたせいか、ずっと寝ていました。午前3時にモーニングコールを頼んでいましたが、その直前に目が覚めました。荷物を整理すると、5時ごろにフロントでチェックアウトし、シャトルバスで空港まで送ってもらいました。下車するとき、運転してくれたホテルの従業員に礼を言って、1ドル札をチップとして出し、「日本にはこういう習慣がないので、最初は戸惑いました」と言って別れました。

ミズーラ空港では搭乗手続きをした際に、手荷物を預けました。往路は大して荷物を持っていなかったので、機内に持ち込みましたが、現地でいろいろ買い物をしたので(といっても書籍のみです。3年前のベルギー・フランス旅行も似たようなものでしたが)、持ち歩くのがしんどかったので、助かりました。成田まで預かってくれるということでした。その後、空港でジュースやチョコレートを買い漁って時間をつぶし、7時にアラスカ航空機に搭乗しました。1時間半の飛行の後、7時半にシアトル空港に到着しました(シアトルはミズーラと時差1時間)。

シアトル空港では、成田行きのノースウェスト航空に乗り換えるはずですが、出発が午後2時半ということで、7時間待たされることになりました。この間、シアトル水族館に行こうかとも思っていたのですが、帰りの便に乗り遅れる恐れもあったので、空港内でぶらぶらしながら時間をつぶしました。どうせなら、シアトルで1泊すべきだったと思いましたが、あとの祭りでした。ここでも飲食しながらぶらぶらしていたのですが、サンドウィッチはヴォリュームがあって旨かったです。また、空港内のバーでビールを飲みました。ここではパスポートの提示を求められましたが、カウンターの女性は親切で、ミズーラ滞在について話をしたりもしました。

午後1時ごろ、出国手続きをしました。入国手続きに比べて驚くほど簡単でした。出発ゲートでもまた待たされましたが、ここでも買い喰いしていました。ジュースが高く、3ドルでしたが、最後なので出し惜しみはしませんでした。ただ、機内ではビールとワイン両方を購入するつもりだったので、10ドル札は手元に残しておきました。

午後2時半、ノースウェスト機に搭乗しました。嬉しいことに窓側席でした。といっても、離陸と着陸時しか楽しめないのですが、中央席よりはましです。10時間の空の旅は退屈ですが、景色を楽しむのも乙なものでしょう。日本は10月1日に入っているはずです。

2008年9月29日 (月)

Elk Country

ここのこころ、ぼくは不眠症です。去年までは病院から処方された睡眠剤なしには眠れませんでした。それを飲まなくなってようやく1年が過ぎたというのに、今度は普段経験しないようなことをすると、興奮して眠れなくなってしまうのです。体は疲れているのに、頭が妙に冴えてしまうのです。今回の学会もそうでした。一昨日は最終日でしたが、閉会パーティーが終わって帰宅しても、1時間ほど寝た程度で目が覚めてしまいました。昨日はホークウォッチングで、十数年ぶりの登山だったのにもかかわらず、やはり1時間ほどで目が覚めました。そこで、しばらく休息したあと、会場のホテルの売店で購入した30枚の絵ハガキを書き始めました。

前日、宿泊しているホテルのフロントで切手を購入しました。しかしながら、アメリカ国内用の42セント切手が26枚しかありませんでした。合計10ドル92セントでしたが、きっかり10ドルだけ請求されました。とりあえず、26枚分貼り付けました。この切手には金額が額面表示されず、Foreverと書かれていました。将来、郵便料金が変わっても、そのまま使えるという意味らしいです。

ハガキの宛先ですが、日本の友人や知人29人と、13年前にカナダでお世話になった人に宛てて書きました。アナログ人間らしく、一通一通心をこめて手書きでした。午前中いっぱいかかってやっと書き終えました。

その後、フロントへ行ってまだ切手はないかと訊ねたところ、42セント切手しかなかったので、4枚購入しました。日本まで送るには94セントかかるので、残りは郵便局で買うことにしました。そこでホテルのシャトルバスで郵便局まで往復で送ってもらいました。運転手はガラの悪そうな人でしたが、気さくで、日本についていろいろ質問してきました。山について訊かれたので、浅間山は今でも噴火しているが、富士山は旧火山で、200年以上前に噴火した記録がある、というようなことを説明しました。

郵便局では窓口で並んでいると、後ろにいた年配の女性がいろいろ世話を焼いてくれ、窓口の職員にも説明してくれたりしました。カナダへ出す一通は窓口に出し、27セント切手を58枚購入し、日本へ送るハガキに2枚ずつ貼り足しました。シール式だったので、貼りやすかったです。貼っている最中に昨日のホークウォッチングのメンバーだった女性と偶然にも出会い、少し話しました。ポストに投函したあと、シャトルバスで宿に戻りました。

その後はホテルに隣接しているファーストフード店で食事し、Sleep, sleep...の予定だったのですが、頭が冴えて眠るどころではなかったので、ホテルの近辺を散歩することにしました。しばらく歩くと、上空をタカが1羽、飛んでいました。双眼鏡を持っていなかったので、肉眼でしか見ることができませんでしたが、アカオノスリのようでした。

さらに歩くと、Elk Countryなる場所につきました。Visitor Centerなる建物に入ると、エルク(アメリカアカシカ)の博物館で、入場無料でした。エルクをはじめ、さまざまな野生動物の剥製が展示されていました。エルクはムースに次ぐ巨鹿とあって、バイソンと並んでも遜色がないように見えました。また、狩猟に関するものや、ネイティヴ・アメリカンの文化についての展示物もありました。ここを運営しているRocky Mountain Elk Foundationの募金箱があったので、1ドル8セント投入しました。なぜ8セントかというと、小銭を処理するためです。

その後、宿に戻りました。眠くはなかったのですが、ここ数日の平均睡眠時間が1時間程度だったので、本当に眠らなくてはまずいと思いました。明日は帰国です。途中で倒れたら洒落にもなりません。フロントに、午前5時にチェックアウトするから、3時に起こしてくれと言って、睡眠剤を飲んでベッドに入りました。

2008年9月28日 (日)

ロッキー山頂のホークウォッチング

4日間続いたRaptor Research Foundation2008年度大会は昨日で終了しました。今日はField Tripsの日です。ぼくはBozeman付近のBridger Mountainsでのホークウォッチングを申し込んでいました。しかしながら、Glacier National Parkの真南に新しいタカの渡りルートが発見されたことで、予定変更となりました。リーダーはHawkWatch InternationalのSteve Hoffman氏です。

午前6時、会場となったホテルのロビーで集合しました。10人のパーティーでしたが、ぼくは5人のグループで1台の車で乗り合わせることになりました。リーダーのSteveの他、NoraとJanetの年輩の女性2人、運転手はJessieという若い女性でした。前日、ぼくに予定を教えてくれたのはNoraでした。車に乗り込んでシートベルトを締めると、まだ暗いうちにスタートしました。

その後まる3時間、ひたすら走り続けていました。そうしているうちに、少しずつ明るくなり始めました。街路樹の枝にミサゴの巣がありました。8:30ごろ、道路わきの店で休憩しました。ここでNoraからマフィン、リンゴ、バナナ、それにミネラルウォーターを受け取りました。Steveから、「きみのために作ったんだ」とものすごく大きなハンバーガーを渡されたときには感激しました。店ではコーヒーを1杯注文しました。Jessieと少し会話をしました。彼女は教育関係の仕事をしているということでした。その後、再びスタートし、路上にあったイヌの死骸をよけたり、道路わきにウシやウマや野生のオジロジカがいたりしました。近くをアカオノスリが飛んでいたのですが、Steveは「レッドテイルド・バザード」と、バザードの部分を強調して呼んでいました。ノスリ類はヨーロッパではBuzzardですが、アメリカでは単にHawkなのですが。

9時ごろ、山の麓の駐車場につきました。Jessieが双眼鏡と上着(すごくきつかった)を貸してくれました。別の車2台も加わり、総勢10名でした。あと、イヌ1頭でした。その後は1時間ほどかけて山頂までテクテク登りました。登山は学生時代以来でしたが、苦になりませんでした。ただ、他のメンバーの台詞に「グリズリー」という語が頻発したので、少し心配でした。イヌを連れて行ったのは、いざというとき、相手の注意をそらすためだったのでしょうか。登山中、ベリーの実が多数あり、つまんで口にしたりもしました。シロイワヤギの食事あとも散見できました。

山頂は尾根になっており、その一角に陣取ってホークウォッチングとなりました。まず、アシボソハイタカが出現しました。続いてクーパーハイタカ、ハヤブサ、ハイイロチュウヒ、アカオノスリ、アメリカチョウゲンボウが現れ、イヌワシまでいました。イヌワシは成鳥も若鳥もいましたが、成鳥はこのあたりになわばりを構えているようでした。あたりの地形は一望できましたが、針葉樹が所々に生えているだけで、山肌がむき出しになっており、ワシの目から見て獲物を探しやすいように感じました。アカオノスリは13年前にもカナダで見ましたが、Harlan's Hawkと呼ばれる尾の赤くない亜種でした。今回見たものは尾が真っ赤でした。ハクトウワシの若鳥もいました。コチョウゲンボウはサーヴィス精神旺盛(?)なことに、頭上わずか数mの所でキッキッキ…と鳴きながら何度も旋回し、近くを通りかかったアシボソハイタカを相手に空中戦を演じたりしていました。猛禽以外の鳥ではワタリガラスが多く、あとはアメリカムシクイ類などの小鳥がいました。ワタリガラスはイヌワシにモビングしたり、アカオノスリの若鳥を包囲したりしていました。ワタリガラスのほうが大きかったので、ノスリの若鳥はひやりとしたのだと思います。

正午には昼食をとりました。先ほど渡されたハンバーガーに喰らいつきましたが、一度に全部食べるのは無理でした。また、メンバーで雑談もしていました。15歳の少年からぼくの両親くらいの年代の人もいましたが、老若男女関係なく、猛禽好き同士で会話を楽しんでいました。ぼくもいろいろ話をしました。日本人相手、特に初対面の人にそういう話をしたりすると敬遠されることが多いのですが、ここではそんなことは関係ないようでした。その間、他の登山客とも出会いましたが、イヌを連れている人が多かったです。このあたりにはピューマやオオヤマネコもいると聞かされました。

午後4時ごろ、下山し始めました。その途中で、シマリスを見たり、シロイワヤギを何度も見たりしました。駐車場まで下りたとき、そこの木の梢にコマツグミがいました。

それから、3時間かけてミズーラに戻りました。その間、どんどん暗くなっていきました。路上にオジロジカがいたり、電線に止まっているアメリカワシミミズクを3度も見ました。ミズーラに着くと、ガソリン代として各自20ドルずつJessieに渡しました。そして、「来年、スコットランドで会いましょう」といって別れました(行けるかどうかわかりませんが)。

会場のホテルのフロントで宿への車を呼んでもらいました。そこで、Ettaに会いましたが、彼女は明日、イヌワシへの標識を見学するということでした。羨ましいと思いましたが、まだ機会はあると思って、宿へ戻りました。

明日は1日、フリーです。日本へ出すハガキを書いたあとは、またSleep, sleep...ということになりそうです。

2008年9月27日 (土)

RRF大会最終日

今日はRRF大会の最終日です。いつものように宿で朝食を摂ると、7:00ごろ、シャトルバスで会場まで送ってもらいました。そこのレストランで、30代くらいの女性とさしで同じテーブルになりました。彼女は朝食を注文していました。ぼくは満腹していたのですが、何もないのはどうかと思ったので、ビールを注文しました。話の内容はいつもと同じようなものでしたが、それなりに弾みました。

8:00から午後5:00まで、シンポジウムがありました。この間もいろいろな発表があったのですが、全部ぶっ続けに顔を出したのではなく、ときどきコーヒーやお菓子などを口にしながら、他の会員と談話していました。午後2:00ごろ、Sean S. Wallsという人がラジオトラッキングについて発表していました。この人とは初日の開会パーティーで知り合い、何度か会話をしていました。彼はオオタカの研究者であるRobert E. Kenward博士と共同で研究をしているそうです。内容はまったくわかりませんでした。日本語で説明されてもわからなかったと思いますが、ひと口に猛禽研究といってもいろいろな分野があるわけで、奥が深い世界であることを実感しました。

この日は別の書店がテーブルを出し、猛禽本を並べていました。去年出版されたRaptor Research and Managementなる分厚い本を60ドルで(David Hancock著のThe Bald Eagle of Alaska, BC and Washingtonをおまけにつけてくれた)、Jerry Olsen著のSome Time with Eagles & Falconsを20ドルで購入しました。また別の店で猛禽本ではありませんが、Ice Age Mammals of North Americaという氷河時代の哺乳類についての本があり、立ち読みしてみたところ、ネコ科の進化についての解説があったので食指を刺激されましたが、本を買いすぎていたので、帰国後にAmazonで買えるだろうと思って見送ることにしましたが、出店していた人がぼくの内心を見透かしていたのか、ただでくれると言ったので、ありがたく頂戴しました。閉会前で店をたたむ直前だったからのようです。

午後4時ごろ、さすがに疲れたので、いったん宿に帰って休息することにしました。タクシーで戻り、宿の人に「7時ごろ、また会場に行く」と言って、少し眠りました。6時45分に起こされて、再びタクシーで会場に向かいました。ぼくが寝ている間に会場ではSilent Auctionが行なわれていたようです。

午後8時から閉会パーティーでした。食事はバイキング形式だったので、並んでいましたが、出席した人数が多かったので、少し待ちました。ぼくの後ろに並んでいた女性が、Brownという名札だったので、「Leslie Brown博士の御親戚ですか」と訊いてみました。もちろん冗談です。彼女は「Brownとは英語圏に多い苗字だから」と言っていました。また、「あなたは鷹匠ですか」と訊かれました。この学会で出会った多くの人からは学生だと思われたのですが、鷹匠かと質問してきた人は彼女の他にもう一人いました。食事中、ワインを2杯飲んだので、少し眠くなりましたが、最後なのでなるべく多くの人と会話しました。食事後も広間で別れを惜しみつつ、時間を過ごしていました。わずか4日間とはいえ、学会の内容のみならず、いろいろな人と出会って会話をし、貴重な体験でした。

帰りは、いつもタクシーやシャトルバスの件でお世話になっているこのホテルのフロント嬢が宿まで送ってくれました。

明日はロッキーの山頂でホークウォッチングです。同行することになる人から、食事を用意するので、明朝6時にこのホテルで集合するようにと言われました。

2008年9月26日 (金)

RRF大会3日目

本日でRRF大会3日目です。ホテルに枕銭1.33ドル残し(小銭を処理するため)、シャトルバスで8:00までに会場に到着し、Erick Greene博士のPlenary Speaker: Raptors―From a Different Point of Viewに出席しました。ここで、東洋人の女性がいました。海外で東洋人に出会うと、日本人でなくてもなぜかホッとします。彼女は香港人で、Ettaという名で、いただいた名刺によるとトビの研究をしているということでした。

続いて口頭発表です。9:00からClark博士の講演が二連発でした。Krider's HawkとHarlan's Hawkについてです。この両者はアカオノスリの亜種ですが、尾が赤くないものです。13年前にカナダで見たのは後者でした。前者についてはDNA鑑定についての研究でした。

その後も口頭発表がありましたが、すべて出席したわけではなく、広間でコーヒーを飲みながら、他の会員と会話していました。バイソンの話題が出たので、「今は増えすぎて間引きしているそうですね」と言ったら、ここのレストランではバイソンバーガーなるものがあるということでした。そこで、昼食はバイソンバーガーでした。光栄にも、Clark博士、Davis博士、それにEttaと同席しました。

それから、ホテルの売店でさらに絵ハガキ15枚を購入しました。また、Buteo BooksでMeyburg & Chancellor共編のRaptors in the Modern WorldおよびGerrard & Bortolotti共著のThe Bald Eagle: Haunts Habits of a Wilderness Monarchをカードで購入しました。その周辺をうろついていたら、数人の学生グループと意気投合し、近くのバーに飲みに行こうということになったのですが、疲れていたので、「胃が痛いから」と言って辞退しました。今考えると惜しいことをしました。学生と言えども、将来の猛禽研究者のタマゴですし、猛禽本の著者になるかもしれません。先のことを考えると、彼らと親しくなっておくべきでした。

それで、少し後悔しながら、ホテルのレストランでぶらぶらしていたら、スペイン人1人とアルゼンチン人2人のグループから誘われて同席しました。このときはビールを注文しました。彼らとは英語で会話をしていましたが、スペイン語訛りのせいか、聞きとりにくかったです。それでもスペイン人の会員は、スペインにはヒゲワシがいると教えてくれました。また、アルゼンチンにはコンドル6種とカラカラ3種が見られるとのことでした。さらに近くにいた初老の男性2人が加わりました。そのうちの1人から名刺をいただき、R. Wayne Nelsonという方でした。13年前にカナダのガリアノ島でハヤブサを見たと言ったら、それは多分、オオハヤブサとアメリカハヤブサのハイブリッドだろうということでした。

午後5:00~7:00、ホテルの近くの画廊でパーティーがありました。鳥や自然を題材に作品を制作しているアーティストで、気さくな方で、いろいろ話をしました。熊本に旅行されたとかで、そのとき入手した浮世絵を題材にイラストを描いたということで、その絵ハガキをいただきました。画廊に魚を掴んでいる猛禽のオブジェがあり、「ミサゴか?」「ヘビクイワシとのハイブリッドみたいだな」「いや、クロコンドルだろう」と議論したりもしました。

午後7:00~9:00はホテルの裏庭でピクニックとなりました。風に吹かれて、少し寒い思いをしつつも、食事し、ビールを飲んでいました。ここでもいろいろな人と話をしました。北海道に住んでいたと言ったら、「グリズリー、いやブラウンベアは見たか?」と訊かれたりもしました。

その後は宿の人がシャトルバスで迎えに来てくれました。

2008年9月25日 (木)

RRF大会2日目

今日はRRF2008年度大会の2日目です。午前9時ごろ、ホテルのシャトルバスで会場に行きました。実は8:00~8:30にミズ―ラへの歓迎の講演があり、8:30~9:30に恐竜から鳥類への進化の話があったのですが、それには顔を出しませんでした。

9:30~10:00のCoffee Break(この間にも何人かの人々と会話しましたが)を経て、10:00~12:00に2部屋に分かれて口頭発表がありました。もちろん、両方とも顔を出すわけにはいかず、片方のみでした。内容は理解できるものもあり、できないものもあり、という感じでした。スライドにも映像を映し出していたので、まったくわからないというわけではありませんでしたが、詳しい要旨が配布されていなかったのが残念でした。12:00~13:40が昼食時間で、ホテルのレストランで食事している人もいましたが、ぼくはコーヒーや菓子をつまんだ程度で済ませました。13:40~15:00に口頭発表、30分のCoffee Breakを経て、15:30~17:00にまた口頭発表がありました。

17:30~19:30がポスター発表でした。このときはポスターの前で、直接解説してもらえました。学生から年輩の研究者まで、いろいろな人が解説していました。その中で、Peregrine FundのLloyd Kiffという方から興味深いお話をうかがいました。Peter Steyn博士など、猛禽本の著者とお知り合いだと言っていました。名刺をいただいたので、いずれEメールで問い合わせてみようかと思っています。その他、奥さんが日本人だという方もいました。出会ったどの方も親切で、会話していて楽しかったです。

この日はTシャツ(15ドル)と、昨日目をつけておいた豪華本Life With an Indian Prince(100ドル)そしてJohn Baker著のThe Peregrine(5ドル)を購入しました。また、ビールとワインが有料でした。

20:00から近くの映画館でLife With an Indian Princeというちょっとした映画を見ました。アメリカの鷹匠兄弟とインドの藩王との交流を描いたドキュメントで、ラガーハヤブサなどの猛禽を捕獲する映像がありました。これはもちろん鷹狩り用ですが、サメイロワシなどは小型の猛禽を捕食するせいか、害鳥扱いでした。もっとも、時間が遅くなっていたので、途中で退出して宿に戻りました。

翌日は早く会場に行きたかったので、モーニングコールを頼み、25セントをチップとして出しておきました。

2008年9月24日 (水)

RRF大会初日

本日はいよいよ、Raptor Research Foundationの2008年度大会の初日です。昨日は疲れて1日中、寝ていましたが、今日は初めての遠出となります。朝食はホテルのヴァイキングで腹ごしらえしました。大会はミズーラの別のホテルで正午から受け付けということなので、11時ごろ、タクシー会社に電話して迎えに来てもらいました。枕銭として2ドル残し、出掛けにフロントで外出する旨を告げると、ホテルのシャトルバスなら無料で送迎するということでしたが、もうタクシーは手配したので、明日からということにしました。会場まで11ドルでした。

会場は結構大きなホテルでした。まだ正午前でしたが、受け付けは準備できており、学生ふうのヴォランティアが数人いました。名前を名乗ると、ぼくのネームプレートを渡されました。他に日本人はいないか聞いてみましたが、ぼく以外は皆無だということでした。午後6時から開会レセプションということで、それまで暇なので、付近を散歩することにしました。

まず、昼食として、街中の屋台でチリドックとマウンテンデューをいただきました。それから近くを歩きまわったのですが、特に変わったものはありませんでした。図書館で読書したり、ホテルの側を流れている川のサイクリングロードを散歩したりしましたが、午後4時ごろ、会場に戻りました。

そこで、受け付けにおいてTシャツを購入したら、巨大マグカップまでくれました。割らないようにTシャツに包みました。また、ホテルの売店で絵ハガキを15枚購入しました。その後、会場を物色していたら、Buteo BooksとPeregrine Fundが書籍を販売していました。洋書コレクターとしては食指が動きます。Peregrine Fundなど、そこで出版したPeregrine Falcon Populationsなる949ページもの本をわずか5ドルという信じられない値段で売っていました。無論、購入しました。1988年出版でしたが、新品同様でした。5冊は並べていたようです。思うに在庫が残っていたので、この際に捨て値で叩き売ろうとしていたようです。他に、Life With an Indian Princeという物凄い装丁の本を100ドルで出していました。豪華本に弱いぼくですが、この日はあまり大金を持っていなかったので、見送りました。Buteo Booksも古書を山積みにしていました。まず、Robert Kenward著のThe Goshawkを42ドルで購入しました。Amazon.co.jpの半額程度です。また、会場に居合わせたKate Davis著の新刊本であるFalcons of North Americaを22ドルで購入したところ、写真家の一人Nick Dunlopがサインしてくれました。

午後6時から開会レセプションが始まりました。最初は各テーブルでワインを飲み、食事しながら、隣り合わせた会員同士で会話が始まり、その後、他のテーブルも回りました。無論、日本語の通用しない世界で、英語のみの会話ですが、言葉は違えど猛禽好き同士ということで盛り上がりました。学生時代に日本野鳥の会に入会し、「猛禽が好きな人と知り合いたいのですが…」と問い合わせたところ、「ウチではそういう紹介はしていません。パソコン通信をやりなさい」と返され、「それじゃ入会した意味がないじゃないか!」と脱会した思い出があります。そのとき果たせなかった夢が実現しました。

知り合った人の多くから、「学生か?」と訊かれました。ぼくが猛禽類を専攻している学生だと思われたようです。中には、ぼくも学会で発表予定だと思っていた人もいたようです。「アマチュアだ」と回答しました。学生ふうの若い人もたくさんいましたが、彼ら(大部分はアメリカ人)は思っていたよりもまともでした。アメリカの学生というと、軽薄なイメージがあったのですが、真面目な感じの人が多かったです。彼らに比べると、日本人の学生のほうがへらへらしています(ぼくもそういう学生の一人でした)。また、中高年の会員も親切な人が多かったです。初めて対話し、自分の両親くらいの年齢の人もいましたが、リラックスして話せました。そのうち、Bill Clarkというネームプレートの男性が挨拶して回っていました。この人の著書は何冊か読みましたが、実際に会えるとは思いませんでした。

午後8時から、別室でClark博士の講演であるEagles of the Worldが始まりました。ワインを飲みすぎて眠かったのですが、聞いているうちに目が覚めました。文字通り世界のワシ類(クマタカ類含む。ハゲワシ類含まない)の話でした。最初は北米のハクトウワシとイヌワシ、それから極東のワシの話で、オオワシはオウギワシと並んでトップクラスだが、翼開長では世界最大、ということでした。そしてインド亜大陸、アフリカ、中南米、マダガスカルのワシ類について解説がありました。1種1種について丁寧に触れていたので、猛禽ファンにとっては言うことなしです。最新の分類の話もありました。カワリクマタカはクマタカ属から独立するとか、クマタカは日本産亜種と大陸産亜種が分離するとか、モモジロクマタカとボネリークマタカはイヌワシ属に含まれるだろうとか、マダガスカルヘビワシはヒゲワシおよびエジプトハゲワシに近いとか、フィリピンワシはヘビワシ類に近いとか、日本の機関ではおよそ話題にならないと思われることが解説されていました。なお、Clark博士の新刊であるRaptors of Mexico and Central Americaはまだ未完成だということでした。

その後もコーヒーやお菓子を口にしながら、他の会員と話をしていましたが、10時ごろ、タクシーを呼んでもらって宿に帰りました。往路と同じく11ドルだったので、明日はホテルのシャトルバスにしようと思いました。

2008年9月23日 (火)

Sleep, sleep...

今朝は午前7時ごろ、起床しました。朝食はホテルの食堂でヴァイキングとなっていました。おいしそうなものを漁っていると、体格の良さそうなアメリカ人から声をかけられたので、「日本から来た」と答えたら、彼は海兵隊員として沖縄に勤務していたことがあるということでした。ヴァイキングの食事はいずれもヴォリュームたっぷりで、胃袋の小さいぼくなどすぐに満腹してしまい、食事後はしばらく動くのが面倒だったので、ベッドの中にいました。

昼食はホテルの隣のファーストフード店で摂りました。ここもヴォリュームがあり、すぐに満腹しました。その後、ホテルの近くを散歩しましたが、風景は札幌の郊外に似ていました。どこまで行っても同じような風景で、道に迷いそうだったので、ホテルに戻りました。

それからモンタナ州立博物館に恐竜の化石を見に行こうと思って、ホテルのフロントに行き方を質問したのですが、ボーズマンという街にあり、バスで2時間半かかるというので、諦めました。それから、タクシー会社の電話番号を教えてもらいました。

エレヴェイターでボタンを押したときに気づいたのですが、「チィー」という音がしました。7月に家族になった愛猫チビタのことを思い出しました。やつはまだ、幼いせいか、「ニャーニャー」ではなく、「チィーチィー」と鳴くのです。

どっちみち、昨日の空の旅でくたくたに疲れていたので、午後はひたすら寝ていました。

明日からいよいよ学会がスタートします。

2008年9月22日 (月)

13年ぶりの北米大陸

昨日の記事でお知らせしましたが、今日から10月1日までの予定で、モンタナ州のミズーラまで旅行です。同街で開催されるRaptor Research Foundationの2008年度大会に出席するためです。

午前7時、自宅を出て、成田空港へ向かいました。到着したのは9時前、少し早すぎる時間帯でした。9時17分、日本円を米ドルに両替しました。200,000円持っていましたが、うち150,000円を1,363ドルに両替し、50,000円を予備として残しました。その後、ノースウェスト航空のカウンターでチェックインし、空港内で昼食をとり、午後1時ごろ、出国手続きをしました。出発までにまだ時間があったので、1時半から2時半まで、空港の仮眠室で休息しました。2時50分ごろ、ノースウェスト航空機のシアトル行きへ乗り込み、座席につきました。機は3時50分に出発しました。

海外旅行はいつもそうですが、9時間の空の旅は退屈でしんどいものでした。時々、飲食したり、トイレに行く他は、ただひたすら座席についたままです。隣に、手の不自由そうな男性(おそらく外国人)がいました。ステュワーデスは日本人が多かったのですが、キツイ雰囲気の人が多く、乗客にはつっけんどんに対応していましたが、「働く女性」という感じで良かったのではないかと思います。彼女たちに比べると、JALやANAのステュワーデスたちの過激なくらいの接客サーヴィスが異常に思えたりもします。機内食は2回出ました。アルコール類は5ドルでした。ビールを注文して10ドル札を出しましたが、おつりがないというので、ワインもついでに注文しました。少し酔っ払いましたが、ここのところ不眠症のせいか、眠ることはありませんでした。

9時間の空の旅の後、シアトル空港に到着しました。現地時間で午前8時半でした。北米大陸は学生時代のカナダ旅行以来13年ぶり、アメリカ合衆国は初めてでした。入国手続きに1時間ほどかかりました。係官の男性はいずれも腰に拳銃と警棒をぶち込んでいました。日系人と思われる女性の係官が日本語で支持を出していましたが、日本人らしさはなく、アメリカ人そのものの振る舞いでした。

その後、10時半にアラスカ航空機に乗り換え、1時間の飛行のあと、12時50分にミズーラ空港に到着しました。アラスカ航空機は小型のプロペラ機で、機内の通路は中央1本で、座席は左右に2列でした。ミズーラ空港は函館空港よりも小さいくらいで、エルク、ピューマ、グリズリー、シロイワヤギの剥製が飾られ、まさにシートンの世界でした。空港の売店でMajestic Eaglesという本を購入し、レストランでチリドッグとビールを注文しました。その後、タクシーでホテルへ向かいました。運転手は女性で、熊本に旅行したことがあるそうで、日本語を少し知っていました。料金は13ドル75セントでした。

ホテルにチェックインして、部屋に入りました。ステュディオタイプの結構広い部屋でした。疲れていたので、すぐに寝てしまいました。夕方、目を覚まし、午後9時ごろに自宅へ電話をかけました。国際電話のかけ方がわからなかったので、ホテルの従業員に教えてもらい、チップとして1ドル渡しました。それから、再び、眠りにつきました。

[註]ここで書いた内容は、現地でノートにメモしておいたものです。PCは持っていきませんでした。(10月17日)

2008年9月21日 (日)

お知らせ

いつも当ブログを見てくださってありがとうございます。それから常連の皆さん、興味深いコメントをいただき、感謝しております。

明日から8泊の予定でアメリカのモンタナ州へ旅行してきます。10月1日に帰国します。この間、ブログの管理はお休みをいただきます。ご了承ください。

それから、このブログの記事の公開が遅れています。8月上旬の記事を1か月以上あとになってアップしている状態です。というのも、バイトで忙しかったため、そのころの出来事を下書き状態のまま、放ったらかしており、後日になって清書しているためです。8月下旬および9月の記事も書きかけで放置されています。

旅行中の出来事も記事にするつもりですが、現地でノートにメモしたあと、帰国してからPCに入力することになります。

それでは、行ってきます。実りある旅行にするつもりです。

[追記]本日、無事帰国しました。このブログを再開します。(10月1日)

2008年9月20日 (土)

North American Birds of Prey

本日、AbeBooksに注文していたScott Weidensaul著のNorth American Birds of Preyがアメリカの古書店から届きました。本体8.95ドル+送料12.95ドル=合計21.90ドルでした。

1989年に出た本で、北米産の猛禽を扱ったものです。収録種はクロコンドル、ヒメコンドル、カリフォルニアコンドル、ミサゴ、ツバメトビ、オジロトビ(ハイイロトビと同種扱い)、ニシクイトビ、ミシシッピトビ、ハクトウワシ、ハイイロチュウヒ、アシボソハイタカ、クーパーハイタカ、オオタカ、クロノスリ、モモアカノスリ、ハイイロノスリ、ハネビロノスリ、カタアカノスリ、ミジカオノスリ、アレチノスリ、オジロノスリ、オビオノスリ、アカオノスリ、アカケアシノスリ、ケアシノスリ、イヌワシ、カンムリカラカラ、アメリカチョウゲンボウ、コチョウゲンボウ、オナガハヤブサ、ハヤブサ、ソウゲンハヤブサ、シロハヤブサ、およびフクロウ類19種です。

この本も惰性で買ってしまったものです。北アメリカの猛禽本は多数出版されており、特筆すべき点はありませんでした。ただ、日中に飛翔中のメンフクロウを2羽のカラスが攻撃している写真がありました。

Weidensaulの著書としては、1996年に出版されたRaptors: Birds of Preyという本がありますが、こちらは名著です。猛禽類全体についての概要に触れられています。このような本こそ日本でも出版されるべきでしょう。

正直言って、ここのところ猛禽類の書籍に関してマンネリ化しつつあります。2日後にRaptor Research Foundationへ出席すべく、モンタナ行きを控えているのですが、その後は何か変化するかもしれません。書籍だけの世界ではなく、実際に人と接して会話する世界に飛び込むべき時期がきたのでしょう。

2008年9月19日 (金)

ワーテルローDVD仏語版

本日、Le Livre Chez Vousに注文していた映画「ワーテルロー」のDVDが届きました。これはセルゲイ・ボンダルチュク監督の有名な戦争スペクタクルですが、フランス語に吹き替えとなっているもので、去年になってNapoleon 1erという雑誌のワーテルロー特集号とセットで発売されたということでした。

ワーテルローの仏語版には苦い思い出があります。学生時代にワーテルローの古戦場に行ったとき、売店で仏語版のVHSを購入したのですが、自宅のヴィデオデッキでは再生できなかったのです。3年前に再訪したときにはドイツ語版DVDおよびVHSが売られていましたが、仏語版はありませんでした。

届いたDVDは早速再生してみました。本当にフランス語でした。やはりナポレオンやネイ元帥やその他のフランス軍将兵にはフランス語でしゃべってほしいものです。ただ、ウェリントンなどのイギリス人や、ブリュッヒャーなどのドイツ人もフランス語でしゃべっていましたが。それぞれの国の人物が母国語で台詞を言う版があったらいいのにと思いました(ドイツ語はわかりませんが)。

固有名詞などについて、フランス語の発音がわかったので、書いておきます。

Napoleon:当たり前ですが、はっきり「ナポレオン」です。英語版では「ナポーリオン」と聞こえます。

Ney:これもはっきり「ネイ」です。日本では「ネー」と表記されることもありますが、イが発音されていました。ただ、ルイ18世の台詞は「マレシャル・ネ」と聞こえました。

Wellington:柘植久慶の逆撃シリーズでは「ウエラントン」となっていますが、はっきり「ウェリントン」と発音されていました。

Blucher:逆撃シリーズと同じく、「ブリューシェル」となっていました。

Hougoumont:英語版では「ウーゴーモン」ですが、こちらは「ウーグーモン」でした。

他にも以下の点で相違がありました。カンブロンヌはMerde!のあと、La Garde meurt et ne se rend pas!と付け加えられていました。また、舞踏会でロード・ヘイという若者が婚約者に胸甲騎兵の兜を持ち帰ると言っていますが、仏語版ではDragon、つまり竜騎兵に置き換えられていました。

ぼく自身がフランス語を学習しているからというのもありますが、やはりフランス語はすばらしい言語です。軍隊での台詞など、聞いていて気分がいいです。ネイ元帥のChargez!という台詞など爽快です。予備校時代、とある英語の講師が、「大学に入ったら第2外国語はドイツ語にしろ。特に男は絶対ドイツ語を取れ。男がフランス語をしゃべるのは気持ち悪い」とぬかしたのですが、その先生にはこの映画を見てほしいです。「軍人のしゃべるフランス語」を聞かせてやりたいものです。

2008年9月18日 (木)

アジの刺身

ブラックピラニアを購入して1か月になります。餌は今のところ、クリル(乾燥オキアミ)のみです。これは飼育者としてはありがたいです。というのも、熱帯魚の飼育書には、ピラニアの餌には金魚やメダカなどの生き餌を与えるべし、などと書かれていますが、こんな残酷なこと、現実には無理です。少なくともぼくにはできません。それに家族と同居している以上、まず不可能です。というのも、ピラニアという魚はアロワナやナマズと違って獲物を丸飲みにはせず、喰いちぎって食べます。そんな場面を家族にでも見られたら、白い目で見られるのは必定です。クリル(これとて元は生きていたものですが)で満足してくれるなら、それに越したことはありません。

しかしながら、当のピラニアの気持ちになってみると、毎日クリルのみというのもどうかと思います。同じものばかりでは飽きてしまうでしょうし。先月、バイトしていたときには展示していたピラニア(ナッテレリ)に生アジを与えていました。ぼくの出勤時間は夕方からだったので関係なかったのですが、お客さんの前でアジを丸ごと食べさせるショーをやっていました。そのせいか、ピラニアの水槽の水はしょっちゅう白濁し、ほぼ毎日水換えしていたものです。ぼく自身は近所のスーパーで豆アジのパック(198円)を購入して持参したことがあります。これはピラニアだけでなく、ナマズやデンキウナギにも与えていました。一度、アジを二枚に下ろしてピラニアに与えたことがあります。やつらは普段は臆病で、水槽に手を突っ込むとパニック状態になって逃げ惑い、水槽のガラスに頭をぶつけたりするので、別な意味で心配でしたが、血のにおいを嗅ぐと、さすがに群がってきました。

そこで、自宅のブラックピラニアにも生アジを与えてみることにしました。といっても7cmほどの幼魚でしかも1匹のみなので、豆アジサイズと言えども丸ごと与えたら大半は無駄になってしまいます。そこで、一昨日、380円の刺身を1パック購入し、そのうち一切れだけを与え、残りはぼく自身がいただくことにしました。そのために缶ビールも買いました。アジの刺身を一切れ水槽に投入すると、ピラニアは何しろ臆病なので、しばらく戸惑っていたようでしたが、餌だと認識したようで、つついていました。そこでぼくは残りの刺身に醤油をかけて、ビールとともにいただきました。

昨日の朝、水槽の蛍光灯を点けてみたところ、ピラニアはアジの刺身を半分以上、食べ残していました。残りも食べるかと思って放っておきましたが、今朝もそのままになっていたので、ネットで回収して捨てました。ピラニアという魚は古代魚や大型ナマズなどと比べるとどうしても線の細いイメージがありますが、食も細いようです。

しかしながら、今後も鮮魚の刺身を買い、一切れだけピラニアに与え、残りはビールのつまみにするというのも楽しいのではないかと思いました。

2008年9月16日 (火)

The Campaign of Waterloo

昨日、帰宅したら、AbeBooksに注文していたJohn Codman Ropes著のThe Campaign of Waterloo: A Military Historyがアメリカの古書店から届いていました。本体105ドル+送料14ドル=合計119ドルでした。

本書はアメリカ人の著者によるもので、1892年に出版され、その後も版を重ねました。国会図書館には1916年版があります。1990年代に復刻版が出たようですが、希少本だったようで、AbeBooksで検索すると古書ばかり引っ掛かります。

届いたばかりなので、まだほとんど目を通していませんが、この本はR/Dさんのサイト大陸軍 その虚像と実像でしばしば引用されています。特に興味深いのは、1815年6月16日午後 フラーヌです。このページでは、ワーテルロー会戦の2日前の前哨戦(リニーとカトル・ブラ)で、デルロン伯爵率いる第1軍団の20,000名が命令伝達の取り違えから遊軍と化し、どちらの戦闘にも参加しなかったわけですが、その命令書を運んだ副官の名前が史料によって異なっており、原因は戦闘参加者の書き残した一次資料の矛盾に起因する、という点について触れられています。著者のRopesはこの点について述べています。

In conclusion, we may say that the evidence as to this matter is not entirely satisfactory. D'Erlon says the order he saw was addressed to Marshal Ney. Reille says the same. D'Erlon says the order was brought by General Ladedoyere; Heymes, by Colonel Laurent. Heymes says that Colonel Laurent, after turning the 1st Corps off the turnpike, informed Ney what he had done; Baudus says that Ney told him that he never received any advice of the sort at all, and that he only learned that the corps had gone off by sending to Frasnes for it, and there being no troops there. It is idle to seek to reconcile these minor contradictions. They are not important.

副官の名前で多いのは、百日天下でナポレオンの副官を務めたラ・べドワイエール将軍です。彼はナポレオンがエルバ島を脱出してフランスに上陸したとき、グルノーブルで第7戦列歩兵連隊長の大佐でしたが、ナポレオン側に合流したために将軍に昇進しました。そして、ナポレオンの2度目の退位後は息子のローマ王をナポレオン2世として擁立することを主張したため、王党派から敵視されて銃殺されました。

彼は映画ワーテルローにも登場するのですが、ナポレオンの傍らで話相手をしているだけで、百日天下での主要な活躍についてのシーンはありません。その点を取り上げられなければ、29歳の青年将軍としてしか注目されないわけです。柘植久慶の逆撃シリーズでも、グルノーブルでの活躍には触れられていますが、戦場では映画と同じく、皇帝の話相手で終わっています。この小説は架空戦記ですが、6月16日の命令伝達で彼を登場させてくれたら盛り上がるのにと残念に思います。

2008年9月15日 (月)

日本鳥学会2008年度大会

ホームページとブログを立ち上げて、早2年になりますが、最近になってHPを御覧になった方から、直接問い合わせのメールをいただくようになりました。今までは掲示板やブログで遣り取りしてからメールでお話しするケースが大半でしたが、6月にとあるTV局の方からアッテンボローの番組について、続いてとある動物の研究者の方からヤシハゲワシについての問い合わせをいただきました。そして先月、猛禽類がお好きな方からメールがあり、遣り取りするようになりました。この方は日本鳥学会の会員で、今月12日から立教大学で2008年度大会が開催される情報を得ました。同大学は自宅から徒歩20分の場所にあるので、顔を出すことにし、その方ともお会いして食事することにしました。

ぼくはアナログ人間です。PC上での遣り取りは苦手です。というのも、顔も年齢も知らず、HNのみで本名も知らない相手と会話するのが不安だということもあります。そうでなくても、できれば目の前にいる相手と酒でも飲みながら直接会話をしたいというのが本心です。だから、最初はHNで知り合っても、メールで遣り取りするようになった人とはできるだけ本名を名乗ることにしています。しかしながら、ネットで知り合った人と直に会うのは、この方が初めてでした。

立教大会は12日から受け付けを開始し、13~15日にわたって開催されました。そこで12日にその方と立教の正門で待ち合わせし、付近の焼き肉屋で食事しながら猛禽談義をしました。これは初めての体験でした。というのも、日本野鳥の会の探鳥会ではそんなことできなかったわけですから。

13~15日の大会では、すべてを見ることはできませんでしたが、猛禽関係の発表はほぼ顔を出し、質問も積極的にしました。ポスター発表もなるべく多く見ました。紹介してくださった方もポスター発表をされていました。

15日のチョウゲンボウのヘルパー行動の観察について、チョウゲンボウは雛を識別できるかという議題だったので、オーストラリアではクロムネトビがオーストラリアチョウゲンボウの雛を捕食目的で巣に連れ帰り、そのまま育ててしまった、という話をしたら、びっくりされました。ちょっとスパイスが効きすぎたかなと思いました。

また、大成建設の青島正和さんが「環境容量に達するオオタカ個体群の動態シミュレーション」について発表され、「里山ではオオタカは増加しつつある」としたところ、「山岳地帯ではどうなのだ。そこのところははっきりさせなくては話にならん」とツッコミを入れた人がいました。

それ以外にも、自由集会で「森林性大型猛禽類の採餌環境改善の取り組みとその課題」に出席し、公開シンポジウムの「熱帯の鳥類学」も興味深かったです。今月末にRaptor Research Foundationへの出席を控えているので、その意味でも意義ありました。

なお、帰宅したらAbeBooksに注文していたRopes著のThe Campaign of Waterlooが届いていましたが、これについては明日書きます。

2008年9月10日 (水)

The Status & Conservation of Birds of Prey in the Transvaal

早いもので、AbeBooksを利用して1年以上になります。猛禽本でほしいものがたくさんあったのですが、Amazonでは通常は新本のみ、古書となるととんでもなく高価だったりします。そこでAbeBooksを使い始めたのですが、今まで気になっていた猛禽本(いろいろな本の参考文献のページに出ている本)が自分の納得できる値段で簡単に入手できるので、財布の中身が許す範囲ですが、片端から買いまくりました。主な猛禽本はほぼ入手してしまい、最近では惰性で購入しているありさまです。というより、ここのところはナポレオン戦争本(ワーテルロー本onlyですが)のほうに傾いています。

今回、入手したWarwick Tarboton & David Allan共著のThe Status & Conservation of Birds of Prey in the Transvaalなる長い題名の本も、惰性で購入したものです。本体28.08ドル+送料15.50ドル=合計43.58ドルでした。特筆すべきは初めてニュージーランドの古書店から購入したくらいです。やはり、行ったこともない国から本が送られてくるのにはワクワクします。

この本は、南アフリカのトランスヴァール博物館が1984年に出版したもので、同地のワシ・タカ類62種の生態や保護について解説しています。カラー写真やイラストなどは1点もなく、モノクロ写真が若干で、あとは分布地図と図表だけという一般の読者には何ら面白味のない本です。読んで楽しい本ではなく、アフリカの猛禽本には必ず参考文献として挙げられているから購入したようなものです。まさに惰性の本です。ぼくは一見、面白くなさそうな本でも、あとで役に立つと思うと買ってしまうのですが、この本が役に立つのは10年くらいあとのことになりそうです。

内容について、少しだけ紹介します。まず、ヘビクイワシはトランスヴァールでは1068つがいが繁殖しており、食物はバッタが87%、齧歯類が3.9%、トカゲが3.3%、鳥類が1.8%で、ヘビを含む他の獲物は1%にも満たないということでした。コシジロイヌワシは120つがいが繁殖、食物の92%はハイラックスで、他は家畜のヤギ、ミーアキャット、リクガメ、鳥などです。ゴマバラワシは546つがいが繁殖、食物は鳥類が45%、爬虫類が38%、哺乳類が17%です。カンムリクマタカは105つがいが繁殖、食物はレイヨウ類が42.7%、ハイラックスが28.7%、サル類が15.3%(うちヒヒの幼獣が1.0%)、アフリカタケネズミが5.3%、ジェネットおよびマングースが4.7%で、鳥類の捕食例は皆無でした。サンショクウミワシは168つがいが繁殖、食物の69%が魚類で、31%が鳥類でした。

さすがに疲れたので、この辺にしておきます。上記のように、ひたすら数値だけの無味乾燥な内容です。この本が果たして自分にとって役立つのか、そしてその日がいつになるのか見当もつきません。

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