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2009年9月26日 (土)

明日、イギリスへ出発です

明日、イギリス旅行へ出発です。RRF2009年度スコットランド大会へ出席するためです。予定を書いておきます。

9月27日は成田空港からブリティッシュ・エアウェイズ機でヒースロー空港へ、その後、同機のエディンバラ行きに乗り換え、スコットランドのPitlochryのホテルへ向かいます。今年の大会はここで開催されます。

9月28日は1日中、フリーです。

9月29日~10月4日に学会が行われます。

10月5日はやはり、1日中、フリーです。

10月6日にロンドンへ行き、4泊する予定です。

10月10日に帰国の途に着き、翌11日に成田へ到着となります。

旅行中はPCを使えないので、出来事をメモしておき、帰国後にブログで紹介することになります。

それでは、行ってきます。今年も実りある旅行にしたいものです。

[追記]本日、帰国しました。病気を抱えたまま、強引に行ったので、体はガタガタ、おまけに時差ボケです。久々に骨休めしています。(10月11日・記)

2009年7月28日 (火)

公園の野良ネコ

元常連の野良ネコ「だいちゃん」のその後です。今朝、ぼくの母が路上で「だいちゃん」を見かけました。相変わらずやせ衰えていたそうです。自動車が通りかかったので、轢かれるかと思ったそうですが、「だいちゃん」はすずしい顔でよけていたとのことでした。そしたら、ここのところ庭にときどきやってくる、図々しい三毛ネコが現れて、「だいちゃん」に寄り添っていたそうです。三毛ネコなので雌だと思いますが、「だいちゃん」もまだ幸福にやっているようでした。

ぼくはというと、コミケ小説に本格的にかからなければならないのに、厚いわ、頚椎が痛むわで、身が入りません。夕方からバイトがあるので、日中に何とかしなくてはと焦るのですが、何もしないまま、どんどん時間だけが過ぎてゆきます。仕方がないので、臨時収入が入ったので、ジムのカフェに行ってビールをジョッキで飲みましたが、その後もまたビールが飲みたくなったので、コンビニで缶ビールを買い、つまみとしてチーズとソーセージを購入しました。家まで持ち帰るのは面倒だったので、コンビニの近くの公園まで行ったところ、誰もいなかったので、そこのベンチで一杯やることにしました。

ベンチでビールの缶を開けて喉を湿らせ、チーズを口にしたところ、公園内に野良ネコが1頭いるのが目に入りました。白と茶色のネコで、小柄で、尾が長く、かわいい顔をしていました。そこで、チーズをちぎって投げてやると、食べていました。その後、ベンチのほうまで近づいてきたので、さらに投げてやったのですが、チーズにはもう飽きたようです。それでも、まだ何か欲しそうな表情でこちらを見ているので、ソーセージをちぎって投げてやりました。ペッパー入りだったのですが、平気で食べていました。その後もこちらを見ているので、何切れか投げてやりました。ぼくがビールを飲み終えて、公園を去ったあとも、その場に留まっていたようです。

実は数年前の夏もしばしば、公園にて缶ビールを開けていたものです。つまみとしてはフランクフルトソーセージまたはアメリカンドッグを重宝していました。そのときもしばしば野良ネコが近づいてきたので、ソーセージをちぎって投げてやると、喜んで食べていました。彼らは人間からものをねだるのに慣れていたようです。

2009年7月25日 (土)

「だいちゃん」哀れ

昨日まで毎日、猛雨が続きましたが、今日は晴れていました。ただ、猛烈に熱く、しかも蒸し蒸ししていて、やりきれなかったです。夕方からバイトなので、体力を温存すべく、日中は横になって過ごしていました。本当は、コミケ小説にも取り掛からなければと焦りを覚えますが、今一やる気が起きません。昼ごろに散歩したら、気温は上昇していましたが、風が吹いていて、気分が良かったです。

現在の我が家の庭の野良ネコ状況です。庭は完全に「ひよひよ一味」、つまり、「ひよ弟」とその仲間の茶虎のネコたちの勢力下にありますが、それ以外の流れ者みたいなネコたちも姿を見せるようです。ここのところ、ぼく自身は家にいる時間帯が少なくなったので、以前に比べると庭の野良ネコたちに接する機会も少なくなったのですが、母は毎日、庭仕事をしているため、彼らの行動をよく観察しているようです。「ひよひよ一味」のうち、「めめちゃん」は特になついており、かつての「くろちゃん」のような信頼関係を築きつつあるようです。

ここのところ、以前の常連だった「だいちゃん」が滅多に姿を見せなくなりました。数か月前に現れたので、餌を与えたところ、昔のように食べていましたが、食事中に「ひよひよ一味」が現れ、とり囲んでじっと見ていたので、「だいちゃん」は途中で去って行ったことがあります。「だいちゃん」も年を取ったのか、嘗てのような威勢の良さは見られませんでした。

「だいちゃん」はその後も庭には姿を見せませんでした。家族の話によると、近くの路上で何度か姿を見たそうです。

その「だいちゃん」が今日、台所の裏口に姿を現しました。見るからにやせ衰えていて、最初は誰だかわからなかったそうです。顔の模様と尾の形で辛うじて「だいちゃん」だとわかる程度でした。餌を与えたら、食べていました。ぼくも食事中の「だいちゃん」を見ましたが、あまりの変わり様に驚きました。昔日の面影はありませんでした。

「だいちゃん」が何歳くらいなのか、よくわかりません。2006年の夏に姿を現したときは、最盛期だったのでしょうか。毎年、夏季には体つきがやせ細っていたのですが、ここまで哀れな姿になるとも思えませんでした。最初はふてぶてしいネコだと思っていたのですが、こうなると言葉で表現できない不思議な気分になりました。

2009年7月23日 (木)

名将の采配

先月からNHKの深夜番組(0:10~0:40)で「名将の采配」なるものを放送しています。歴史上、名高い戦いを、スタジオ上でディオラマを使って再現する、というものです。

今までは以下の内容で放送されました。

第1回:カンナエ会戦(6月3日)

第2回:厳島の戦い(6月10日)

第3回:サラミス海戦(6月17日)

第4回:ガウガメラ会戦(7月8日)

第5回:上田城攻防戦(7月15日)

このうち、第1、第4、第5回を見ました。そして昨夜の第6回はナポレオン・”常識破り”が勝利への道でした。アウステルリッツでロシア・オーストリア連合軍を撃破した三帝会戦です。

一応、ナポレオン戦争ファンとして期待はしていましたが、どれだけの質を求められるかは疑問でした。何しろ、まともな歴史家や作家の著書を読んだところで、欧米の研究には太刀打ちできない状況だからです。たとえNHKとはいえ、マスコミにそこまで期待するのは無理というものでしょう。

内容に関しては予測がつきました。有利な地であるプラッツェン高地を敵に開け渡した、というのが“常識破り”だというものです。これは、多くのナポレオン本で“戦争芸術の極意”として紹介されているわけです。学研の歴史群像の1994年2月号で初めてナポレオン戦争が特集されたときも、これがクローズアップされていました。

内容を見て思ったのですが、NHKの製作スタッフは誰もナポレオン戦争の本当の魅力を理解していない、というものです。これでは一般の視聴者にナポレオン戦争の面白さをアピールすることもできなければ、最近増殖しつつある“ナポレオニックファン”と呼ばれる人々を満足されることもできないでしょう。一昔前のステレオタイプのナポレオン像をそのまま語ったものです。つまり、「戦略戦術の天才で希代の名将」とか「フランス革命の風雲児」なる既に使い古されたイメージを踏襲したものだからです。また、「余の辞書に不可能の文字はない」などの“名言”や、缶詰を発明したとかいう、何のソースに由来するのか不明な、いわゆるどうでもいい雑学ネタのオンパレードでした。

一番腹が立ったのは、以下の二点でした。

・ナポレオン1人の名前しか出ていなかったこと。ロシア皇帝とオーストリア皇帝の肖像画だけは出ていましたが、両軍の主だった将軍たちの名前は皆無でした。当たり前の話ですが、ナポレオンが一人だけで戦争をやったわけではありません。この時代の他の将兵を語らずして、ナポレオンを語るなかれと言いたいです。フランス軍に関しては、囮部隊の指揮官であるルグラン将軍と、隠し駒を率いていたダヴ―元帥の名前くらいは出すべきでしょう。

・当時の軍隊が歩兵隊と砲兵隊だけで編成されていたかのような解説をしていたこと。騎兵隊の存在を無視しては、手抜きというものでしょう。何と言っても戦場の華ですから。もっとも、NHKでは過去に長篠合戦を散々取り上げ、「鉄砲の前には騎馬突撃は時代遅れになった」というデタラメを何度も繰り返していますから、下手に騎兵の存在を出したら、「なぜ、200年以上もあとの時代のヨーロッパの戦争で、騎馬が突撃していたんですか」などという質問が殺到するでしょうから、わざと避けたのかもしれません。歩兵にしても、武器が銃剣で、1分間に120歩の速度で進撃していた(どうせ柘植久慶さんの「ナポレオンの戦場」からの受け売りでしょう)くらいの解説しかしていませんでした。これでは、一般の視聴者にはこの時代の戦闘のイメージがつかめないでしょう。アレクサンドロス大王の回では、重装歩兵、騎兵、投槍兵、投石兵など兵種別に詳しく解説していたことを考えると、明らかに手抜きです。

どうも、ナポレオンという人物は、名前だけは日本でも有名ですが、その人となりというか、彼が何をなしたかについてはあまり知られていない、というか、注目されていないようです。早い話、戦略戦術の天才といっても、三国志演技で描かれている諸葛亮のように小細工をやる人間だと解釈されているようです。ゲストの一人が、「女性を口説くのにも使えそうなテクニックですね」などと発言していましたが、だったらオブリ編の「ナポレオン言行録」で取り上げられているジョゼフィーヌへの手紙の数々でも読んでみろと言いたいです。彼は基本的に、正面ブチ当たり型の人間だということがよくわかりますから。

日本のマスコミにナポレオン戦争の本当の面白さを理解してもらうのはまだまだ先のようです。一般人のマニアのほうが遥かに先を進んでいるのではないでしょうか。

2009年6月10日 (水)

Les fraises de Grouchy

昨日、Amazon.frに注文していたGerard le Tulzo著のLes fraises de Grouchy ou les secrets de la defaite de Napoleon a Waterlooが届きました。本体16.00ユーロ+送料14.90ユーロ=合計30.90ユーロで、以前、送金しておいた郵便為替で購入しました。4月17日に注文したのですが、そのときは品切れとかで、6月5日に出荷され、昨日になって到着しました。

この本は今年の新刊で、ペーパーバックの161ページです。著者について、最初は職業軍人かと思ったのですが、Ecole des Francs-Bourgeoisの講師で歴史担当だということでした。内容に関しては、仏語圏で数あるワーテルロー本の1冊なのですが、グルーシー元帥の行動を中心に解説されています。英語圏で1905年に出版されたHyde Kelly著のThe Battle of Wavre and Grouchy's Retreatに相当するものと言えるでしょう。ぼくは「ワーテルローだけの男」ですが、いわゆる“モン・サン・ジャンの決戦”よりも、リニー、カトル・ブラ、ワーヴルなど、他の場所で行なわれた戦闘のほうに興味があります。遭遇戦や追撃戦にも興味があるので、6月15日のシャルルロワやフラーヌ、17日のジュナップなどでのできごとについて書かれた本があったら、是非とも読んでみたいものです。

本書では、最初のページに登場人物の解説があります。フランス軍がナポレオン、スールト元帥、ネイ元帥、ドル―オ将軍、そして主人公たるグルーシー元帥、その麾下のジェラ―ル将軍、ヴァンダム将軍、エグゼルマン将軍、パジョール将軍です。イギリス軍がウェリントン公爵のみ、プロイセン軍がブリュッヒャー元帥とグナイゼナウ将軍です。内容は、6月14日の戦役開始に始まり、リニーを経て、あとはジャンブルーにおけるグルーシーの行動へスポットが当たります。ここで、グルーシー軍とプロイセン軍の動向についてかなり詳しく書かれているようです。モン・サン・ジャンでの決戦にもざっと触れられていますが、それよりもワーヴルでの勝利に一章が割かれています。まだ目を通したわけではありませんが、相当に読みごたえがありそうです。コミケ本でワーヴルの部分を執筆するまでに、しっかりと目を通しておくつもりです。

2009年6月 5日 (金)

Official Bulletins of the Battle of Waterloo

本日、AbeBooksで注文していたOfficial Bulletins of the Battle of Waterloo in the Original Languages, with Tranlations into Englishがイギリスの書店から届きました。ワーテルロー戦役に関して、各国の公式報告書を1849年にJohn Palfrey Burrellが英訳したもので、今年になってから復刻版が出たのですが、Amazon.co.ukでは既に売り切れだったので、AbeBooksで購入した次第です。本体13.91ドル+送料15.20ドル=合計29.11ドルでした。

内容は、以下の通りです。

Dispatch from Field-Marshal the Duke of Wellington(+仏訳)

Dispatch from Lieutenant-General Don Miguel de Alava(+西語オリジナル)

Official Report of the Operations of the Prussian Army, by oeder of Field-Marshal Prince Blucher(+独語オリジナル)

Extract from a Dispatch of Lieutenant-General Charles of Alten(+独語オリジナル)

First Report of H.R.H. the Prince of Orange(+蘭語オリジナル)

Second Report by the same(+蘭語オリジナル)

Austrian Account(英文のみ)

Copy of a Letter from General Count Pozzo di Borgo(英文のみ)

Bulletin by Napoleon(+仏語オリジナル)

Letter of M. Marshal, Prince of Moskowa(+仏語オリジナル)

Report addressed to the Emperor by Marshal Count Grouchy(+仏語オリジナル)

これらの報告書は今まで買い漁った文献で既にお目にかかったものばかりですが、今回の本では原文も紹介されていたのがありがたかったです。もっとも、今のぼくに読めるのはフランス語だけですが。ドイツ語はいずれチャレンジしてみるつもりですが、スペイン語やオランダ語を学習することになるのかどうかは、まだわかりません。

2009年6月 1日 (月)

ネコの牙

今朝がた、またネコの夢を見ました。一昨年にネオタが他界し、去年、チビタが新たな家族となったものの、生後1年で短い生涯を閉じ(原因は不明でしたが)、今年になってまた新しく子ネコを拾った、というものでした。その子ネコはチビタに似ていたものの、上顎の牙がいずれも折れてはいませんでした。ネオタは上顎の右の牙が折れており、チビタは左の牙が折れていた、という設定になっていたのです。目が覚めて、チビタは生きており、新しい子ネコは架空の存在であったことに気づきました。チビタが無事であって良かったものの、夢の中で新しい子ネコに会ってしまったため、複雑な気分でした。

実は、チビタの牙は折れていません。ネオタの上顎の右の牙が折れていたのは事実です。それでは、上顎の左の牙が折れていたのは、去年の1月に他界した野良ネコの「くろちゃん」でした。「くろちゃん」が我が家の人間、特に母になついていたせいか、飼いネコであるかのような潜在意識を抱いており、このような夢を見てしまったのだと思います。満20歳まで生きたネオタはともかく、推定9歳だった「くろちゃん」はまだ余命があったと思われるので、気の毒ですが、チビタが無事生きていることがわかって、ホッとしました。

ネオタに関しても、似たような夢を見たことがあります。ぼくが高1か高2のときのことなので、やつが生後1年未満のころだったと思うのですが、捨てネコだったはずのネオタに実は飼い主がいることがわかり、引き渡さなければならなくなって、愕然としていたら、目が覚めて、実は夢だとわかって胸を撫で下ろした、というものでした。こういう夢を見ると、やつの存在が非常に愛おしくなります。本人はこのような感情を夢にも思っていないのでそうが。

牙で思い出したのですが、ネオタは格闘が好きなやつで、ぼくに対してくんずほぐれつの取っ組みあいを挑んできたので、いつも手には生傷が絶えませんでした。片方の牙が折れたのは、ぼくが浪人時代のことでしたが、それでも格闘好きは留まりませんでした。学生時代、北海道で一人暮らしをしているときには生傷も消えてしまうので、寂しく思っていたものです。一方、チビタは活発でいつも走り回っていますが、格闘はしません。ネオタは床下から引きずりだしたりすると怒ったものですが、チビタは家族に対して怒ることはありません。動物診療所でイヌの患者に対して唸ったり、診察室で牙を剥いて威嚇したことはありますが、要するに怖かったからなのでしょう。個性があって面白いものです。

2009年5月22日 (金)

ネコ騒動 その8

一昨日のことですが、仕事のあと、バイト仲間と御茶ノ水で飲んでいました。そのため、家に帰ったときには日付が昨日になっていました。両親は外泊しており、先に帰宅した妹が愛猫チビタと家にいるはずでした。

ところが、ぼくが帰ったとき、妹が浮かぬ顔をしていました。何でも、午後9時に帰宅したとき、戸を開けるとチビタが脱走したそうです。しばらく庭にいたようですが、今はどこにいるのかわからないと言っていました。

そこで、ぼくが0時30分ごろ、庭に出ると、チビタがいました。捕まえようとしたのですが、やつは道路を横切ってしまいました。こんなとき心配なのは、交通事故です。やつは室内飼いなので、車をうまく避けられないかもしれません。果たして車が来ました。ぼくはひやりとしましたが、チビタは涼しい顔をしていました。そして、向い側の家の庭に入ってしまいました。こうなると、手出しはできません。ぼくは家の中に戻りました。

1時間後の午前1時半、再び庭に出ると、またチビタがいました。ぼくは普段やつをあやすのに使っている玩具で誘おうとしました。チビタはつられてぼくの前まで来ましたが、捕まえようとすると床下に逃げ込みました。2度、しくじったあと、3度目にようやく捕まえました。そして妹に無事捕まえたことを伝えました。

そして今日、バイトが休みだったので、午前中はずっと寝ていました。その間、チビタがまた騒動をやってくれました。2階の窓から電柱に飛びついたのです。爪が立てられずに、地面までずり落ちたのですが、怪我などはしませんでした。ぼくが起床したときには、騒動は終了していました。

ぼくも子どものころ、外で遊んでいて、ひやりとしたことがあります。近所の川に魚を捕りに行って流されたり、自転車から落車したりです。そういう経験が人間性を養うのに必要なのでしょう。

2009年5月14日 (木)

男の友情 その2

昨晩は眠れませんでした。お陰で今日は体が疲れているものの、神経が冴えていて、何かやろうとしてもできない状況でした。ただ、今日はバイトが入っていなかったので、寝ていないで疲れていても、特に問題はないはずでした。そこで、1日中、ベッドの上で横になっていました。

そしたら、午後7時半にバイト仲間から突然、電話がありました。お腹をこわしているので、代わってくれというのです。もちろん、OKです。1日くらい、寝ていないからといって、ぶっ倒れる恐れはないでしょう。そこで、夕食を摂るために階下に降りました。10分で食事を終え、7時40分に家を出るつもりでした。

食卓で夕食を食べていたのはぼく1人でした。他の家族はもっと遅い時間に食べるはずです。ところが、食べている最中、愛猫チビタがリヴィングを突っ切り、浴室へと向かいました。しばらくすると、母と妹が浴室で何か言っていました。どうも、チビタは浴室の網戸越しに「ひよ弟」と語りあっていたそうです。ぼくが食事を終えて、浴室を見たときも、「ひよ弟」の姿は見えませんでしたが、チビタは網戸にべったりくっついていました。ともあれ、ぼくは出勤しなければならないので、7時40分に家を出ました。

家族の話によると、チビタは今でも「ひよ弟」らと網戸越しに交歓しているようです。やつは室内飼いしているため、野良ネコたちと普段、接していないので、仮に脱走して庭に出たとしても、KY的な行為をしてしまうため、野良ネコ社会からつまはじきにあってしまい、「ひよ弟」との“男の友情”も終わったかと思っていたのですが、そうでもないようです。それどころか、「ひよひよ一味」はかつての「くろちゃん」のように、我が家の人間に近づき始めているそうです。彼らの社会は流動的で、今後どうなるかよくわかりません。

そういえば、今日は去年、「ひよひよ兄弟」が母親に連れられて我が家の庭に出現してからちょうど1年です。「ひよ兄」のほうは行方不明となり、どこでどうしているのかわかりませんが、「ひよ弟」のほうは随分逞しく成長したものです。

2009年5月11日 (月)

ふいになった招待状

現在の仕事を始めてからずっとそうですが、昼夜ひっくり返った生活をしています。夜間は一晩中、起きていて、雑用をしています。ここのところ、HPに載せる文章を書いています。ただ、疲れているせいか、なかなか纏まりません。毎晩、少しずつ作成しています。明け方になってから就寝し、午前中は寝ています。午後になってから起床して食事などをし、夕方から出勤し、深夜に帰宅するという生活リズムです。

今日も深夜にHP作りをしており、午前5時ごろにベッドに入りました。別に眠くはなかったのですが、仕事があるので、休息しておく必要があります。眠くないからといって、勢いに任せて起きていて、そのまま出勤したら、帰宅するときにはボロボロになっていたことがありますので。

そのとき、また夢を見ました。ここのところ、睡眠剤を飲まなくても普通に眠れるので、よく夢を見ます。以前は睡眠剤なしには眠れなかったのですが、夢を見ませんでした。たまに薬を飲まずに寝てしまうと、とんでもない悪夢を見てうなされたものです。最近ではそのようなことはほとんどなくなりました。

今回の夢は、なぜか来年の2010年6月、ベルギーのブリュッセルのホテルに滞在しているという設定になっていました。光栄なことに、6月18日のワーテルロー195年祭で、地元の観光局からなぜかぼくがゲストとして招待されたということになっていました。そして当日、いよいよホテルから古戦場へ向かうという段になって、なかなか足が向かわずに時間がどんどん過ぎてゆき、やっと辿り着いたときには、イヴェントは終了しており、せっかくいただいた招待状がふいになってしまった、というものでした。こういうパターンは夢の中で頻繁に起こります。

そこで、仕方がないので、ブリュッセル市内の郵便局に向かいました。ホテルのエレヴェイターの前で、なぜか高3のときの同級生2名と出くわしました。そして、郵便局では窓口の職員に英語で質問をしていました。日本へ手紙を出したいので、料金はいくらか質問したのです。ところで窓口にいた年配の女性は、ぼくの質問にはろくに答えずに、自分のことについて長口舌をぶっていました。そして、「わたしはイスラエルの生まれなんですけどねぇ」などと言い出す始末です。結局、手紙は出しませんでした。

その後はブリュッセル市内を歩きながら、学生時代の1996年に泊まったホテルのあたりに行っていました。ところが、これも夢の中ではよくあることですが、当時、ぼくは8月末のテスト前と後に2回も行ったことになっていたのです。現実にはそこまでお金はないし、暇もなかったのです。

ともあれ、この夢を見て、また古戦場へ行きたくなりました。地元の観光局から招待されるなどということはまずないと思いますが。

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